母の死以後、クリスチャンでもない仏教徒の僕が、毎週欠かさず教会通いを始めた。
クリスチャンである母の愛用していた聖書と賛美歌集を携えて。
もし母が生きて元気でいたら、必ず教会に通っていたはずだから。
今日は、葛藤の1月から天啓の2月へ至るまでの内省を綴っていく。
受難節
13ヶ月間。
400日以上。
薄氷の上を歩く心地で母の看病に当たってきた。
母の生存は、僕の手にかかっていた。
迷宮のような母の容態と向き合うことは容易ではなかった。
要を得ない医師たちの目と耳を開かせることもまた容易ではなかった。
そして回復への道が開かれようとしていた奇跡のような2週間。
そんな矢先、前触れなく母はこの世から消え失せてしまった。
もっと生きれたはずの母。
創意と愛情に満ち溢れた母。
まだたくさんの人たちに必要とされていた母。
そんな母をむざむざと死なせてしまったのは、自分のせいだ。
きっと最終局面のどこかで下した判断が、取り返しのつかない事態へつながったに相違ない。
そんな罪悪感で心乱れた1月。
仕事を休んで正解だった。
伊達メガネがなければ、到底人前に出ていかれないほど泣きはらした瞳。
「そんなに自分を責めたら、天国のお母さんも悲しむよ」
「最後まで息子さんの手厚い看護で親孝行してもらって、お母さんは幸せな人だわ」
そう言って励ましてくださる弔問客に「そうですね」と頷いてはみるものの、持って行き場のない罪悪感までは消えない。
目の前の仕事や用事に埋もれている時はごまかせても、夜が巡ってくれば罪悪感を隠せる場所なんてどこにもないから。
その苦難こそ、僕の犯した罪に対する罰だった。
天の啓示
2月。
風向きが変わった。
天啓がもたらされたのである。
それは牧師の伊藤パウロ先生によるお説教の中にあった。
裁くは人の業。
許すは神の業。
神とは「罰を与える者」ではない。
神とは「許しを与える者」である。
だから祈りなさい。
祈りとは「願う」ことではない。
祈りとは「委ねる」ことである。
あなたの犯した罪を、祈りと共に神に委ねなさい。
そうすれば即座に許されるのである。
ガツンときた。
最高の供養
もうひとつの天啓。
それは14年かけて作った歌のモデルにしたAさんが弔問に訪れた時のこと。
この時、Aさんからかけられた言葉を、僕は一生忘れないだろう。
「これからマツバラ君が幸せになることが、お母さんへの一番の供養だよ」
ガツンときたばかりか、泣けて泣けて仕方なかった。
自分が幸せになることが、母への最高の供養!!?
罪悪感に打ちひしがれているさなか、それは思い至ることのあろうはずもない発想の転換。
罪を犯したかもしれないのに、幸せになってもよいのだろうか。
黄金の杖
パウロ牧師のお説教と、Aさんの言葉。
それが自分の意識の中で化学反応を始めた。
いずれも以前どこかで聞いたことのある言葉。
でも今ほどそれら偉大な言葉を必要としたことはかつてなかった。
塵芥にまみれた道を歩んでいる。
そう思い込んでいたら、実は黄金の道であることを発見したに等しいのだから。
その発見こそが杖となった。
──無力感に打ちのめされている自分の杖。
その発見こそが光となった。
──暗闇のトンネルで出口を指し示す光。
その発見こそが救いとなった。
──自分の行動パターンを変えるほどの救い。
恐れ知らず
これまでは「求められれば応ずる」スタンスだった人づきあい。
それが「自分から求める」方向へと向かっていった。
母に代わり、慰めと救いを求めての教会通い。
それが今では自分の思惟で足を運んでいる。
教会では年齢や立場を超えて、万人が兄弟姉妹であると説く。
母と懇意だった牧師夫妻や教会員の方々は、まるで新たな家族を招くように僕を温かく迎え入れてくださった。
これまでどこの団体にも所属したことのない自分にとって、そこは新しい家となった。
そして母と直接的な関わりがなかった方々に対しては、僕の方から積極的に働きかけている。
それはもう母でさえ驚くであろう行動派ぶりだ。
礼拝後に皆さんとランチタイムを共にする。
コーラス隊の練習に加わる。
教会上層部の役員さんたちとお近づきになり、その懐に飛び込む。
教会専属オルガニストの音大教授に僕のコンサートへ出演を打診する。
クリスチャンですらないペーペーの自分ごときが、なんと厚かましくも畏れ多い!
かつての自分ならそう考えて行動に移せなかっただろう。
抵抗感というものがなくなった。
魔法のステッキを振るように。
アブラカタブラと呪文を唱えるように。
後先考えず厚顔無恥な自分でいることが心地よい。
それが自分を幸せにし、母の供養にもなるのだ。
何を躊躇することなどあろう。
自分を阻む者がいるとすれば、それは唯一自分自身にほかならないのである。
召天40日目
母が亡くなって40日目の今日。
教会では通常と異なり、バッハのカンタータ第82番「われは満ち足れり」の生演奏を交えた音楽礼拝が開催された。
仏教では49日と言われるが、キリスト教では40という数字がとても意味があるらしい。
キリストが復活してから昇天したのが40日目なのだとか。
召天して40日目のタイミングで、バッハのカンタータによる音楽礼拝。
それは音楽家だった母にとって最高の送り出しであった。
母を失った喪失感は尽きない。
でもそこから何か学んだことがあるとすれば、立ち止まることなく、祝福と歓喜へ至る道を歩むのを自分に許すことだった。
母よ、見ていてください。
あなたの息子は、新たな兄弟姉妹と、偉大な黄金の杖を得て、やっと独り立ちします。
DJヒデキマツバラ presents カクテルパーティー
GODSPEED
【Date】2020-03-15(Sun)14:00 - 15:50
【Place】Miminowa Music Studio
【Admission】 ¥2750 (with Special Cocktails & Spring Tapas)
【Performance】DJヒデキマツバラ、MAYUMI、SAM、エセニヤ
【Reservation】ヒデキマツバラTwitterまでご連絡ください(2020/03/08ご予約〆切)
母と共作した「アイラブ平和大通り」ピアノを弾いてる母の上にもシャボン玉が舞い降ります。