4/19に開催した松原リディア美江を偲ぶ会 Heaven Scent で、僕は母のためにピアノ演奏を捧げました。
その曲は「タイスの瞑想曲」です。
Heaven Scent については、こちらに書きました。
hidekimatsubara.hatenablog.com
母の化身 - Grace -
カラヤン指揮「タイスの瞑想曲」
「タイスの瞑想曲」はフランスの作曲家、マスネーの作品。
オペラ「タイス」の間奏曲でありながら、世界一有名なマスネーの作です。
その昔、僕が子供の頃、母はこの曲をピアノでよく披露していました。
そして53年に及ぶ演奏活動をしてきた母の数あるピアノレパートリーの中でも、僕が一番愛した作品でもありました。
母の奏でるピアノの音色は、タイスの瞑想曲のためにあるようなもの。
そう思ってしまえるくらい、母のピアノは麗しく、優美で気品にあふれていました。
キラキラ輝きながら高貴の極みへと昇っていくメロディーラインは神々しく、まるで天国に導かれていくようでした。
僕は子供ながらに、タイスの瞑想曲は母の化身であると感じたものです。
その響きの中に、母のイメージが集約されていました。
まるでルネサンス絵画のように、豪奢で格調高く、慈愛に満ちた存在感。
母の姿かたち、そして魂までもが、タイスの瞑想曲に息づいていました。
僕が小学生だった頃を最後に、ここ何十年もの間、母のタイスは耳にしていません。
「どうして弾かないの? あれが1番お母ちゃんらしくて好きなのに」
折に触れてそう尋ねてみるも、「そお? あれはバイオリンの曲だからねぇ」と返ってくるだけ。
ここ数年も、母がコンサートの選曲を相談してくるたび、僕は「タイス弾いて!」と重ねてリクエストしたものです。
結局それが実現することはありませんでしたが。
それでも母が奏でたタイスの調べは、今も僕の追憶の中で鮮やかに響いています。
神の声 - Taboo -
魅力とタブーは、コインの表と裏に似ています。
魅力的なものほど、禁じられます。
禁じられたものほど、魅力的です。
例えば、創世記に登場する禁断の果実。
禁断のリンゴを食べてはならぬ、という禁忌を犯したアダムとイブは、エデンの園を追放されました。
かつて日本の歴史の中には、禁じられた色があったのはご存知でしょうか?
深い紫色の衣服は、高貴な位につかなければ着ることができませんでした。
また黄櫨染(こうろぜん)や黄丹(おうに)という色に至っては、それぞれ天皇陛下と皇太子殿下しか纏うことが許されなかったのです。
タイスの瞑想曲は、僕にとってエデンの果実であり、禁色(きんじき)の衣でした。
とても憧れている曲でありながら、無意識のうちに、自分が演奏するべきではないという思いに囚われていたのです。
母の奏でるタイスの美しさときたら、それはもう天界に属するもののようでした。
その完璧なる美と調和の調べは、神の声のように聞こえたほどです。
タイスは母だからこそ弾けるんだ。
この手で弾くなんて、まるで泥だらけの指で女王陛下のお召し物に触れるようなもの。
そんな風に畏れ多く感じつつ、神聖なるタイスを愛(め)で、敬いました。
母のタイス譜面を手に取って眺めるだけで、ほうっと満足の吐息をついたものです。
餞(はなむけ) - Farewell Gift -
偲ぶ会で、タイスを弾いて母に捧げたらどうだろう?
そんなアイディアが湧いたのは、この3月。
タイスの瞑想曲を神格化してきた自分にとって、それは途方もない発想でした。
自分が弾くなんて夢想だにしなかった作品。
無意識のうちに自分が自分に課してきた禁忌。
それを解く時がきたことに、運命すら感じました。
母の奏でたあの音色を記憶し、今の時代に響かせられるとしたら、自分をおいて他にいない。
それが死へと旅立って行った母への最高の餞(はなむけ)になるかもしれない。
そう直感して、ライフワークとしてのピアノを数年ぶりに再開。
生まれて初めて、タイスの瞑想曲に指先を落としたのでした。
(続く)
■今月のライブ動画■
母のピアノと共演したポール・モーリア作品です。