お盆とは、ご先祖様の霊を祀る日本古来からの信仰、そこに仏教が融合してできた行事。
つまり、お盆になると先祖の霊魂が家に帰ってくると考えているのは、仏教徒だけ。
当然ながら、他の宗教にはお盆という習慣がありません。
だとすると、クリスチャンである母は、この初盆に我が家へは帰って来なかったのでしょうか?
宗教観の違い
まず最初にお断りしておきますね。
僕は一般的な宗教に対して特にこだわりなく、どの宗教も等しく尊重しています。
ちなみに一番ウマが合うのは、イスラム教の方々^^
他人がどんな宗教観を持ち、どんな教えを信じていようと、その人の自由だと思っています。
友情を築くのに、宗教観の違いは障害になるはずもないと感じています。
ところが、家族が宗旨替えをしたとなると、事はそう単純ではありません。
亡き母は6年前、クリスチャンに改宗しました。
戸惑いました。
母の洗礼をしてくださった牧師様も、僕の戸惑いに理解を示してくださいました。
今年の頭、母が亡くなると、僕の戸惑いは現実味を帯びてきました。
喪主として、供養、儀式、祈りの対象、などのあらゆる点で違和感を覚えるようになったのです。
宗旨替えの皮肉
母は供養熱心な人でした。
父が亡くなって以来、毎日仏壇にお供え物をして、お経を唱えることを欠かしませんでした。
供養を通じて、父に天国のより高い階層に行ってもらいたいとの気持ちがあったようです。
月に1度はお墓参りに出かけ、23回忌まで立派に務め上げた母。
宗旨替えした後も、父や祖父母、ご先祖さまに対して、きちんと仏式で供養をしていました。
ところが皮肉なことに、供養熱心だった母に対して、仏教では当然とされている供養を、僕は何ひとつしてあげられません。
クリスチャンには、初七日も、四十九日も、お彼岸も、初盆もないのですから。
こんなに違う仏教とキリスト教の供養
お供え物
仏教なら仏壇にお供え物をします。
まるで生きている人間と同じように、炊いたご飯やお水、和菓子を並べます。
キリスト教にはお供え物をするという習慣がありません。
神への供物として勤労奉仕をすることならあります。
しかし、故人のために何かを供えるという発想はないのだとか。
当然、仏壇のように何かを供える場もありません。
仕方ないので、父へのお供えは仏壇へ、母へのお供えは遺影のそばへ、別々に置くことにしています。
祈りの場
仏教なら仏壇の前で祈ります。
キリスト教のカトリックなら、イコン(キリスト像やマリア像)あるいは十字架の前で祈ります。
母が属していたプロテスタントの場合、特定の対象を前にして祈ることはありません。
ただひざまずき、こうべを垂れ、全能の父に祈るのみです。
仏壇の購入や維持に多額の費用がかかることに比べたら、実に簡素で良いように思われます。
が、仏式に慣れた遺族からしてみれば、仏壇にお参りするほどの充実感が得られない、というのが正直なところ。
祈ることに変わりないんですが、祈る対象があるというだけで習慣化しやすく、祈りに集中できるのです。
仏教徒であると意識せざるを得ないこと
裏を返せば、プロテスタントはそれだけ自由度が高いということなんですね。
儀式ばったところもなければ、厳密な規則もなく、めいめい自由に供養できる。
ただ、母を亡くして初めて、その自由な方針がなんだかカジュアルすぎるように思えてきてしまうのです。
僕は月並みな仏教徒として、ごくごく最低限のことをしているに過ぎません。
お盆やお彼岸のお墓参りとか、法事に出席するとか、毎日仏壇のお供えを取り替えるとか。
そんな自分にとって、お彼岸や初盆を迎えるたび、キリスト教的には特に母を供養する必要がないんだという事実にはカルチャーショックを覚えます。
いかに自分が無自覚のうちに仏教的なしきたりや供養に慣れ親しんできたか、日増しに実感していくばかり。
人に話を伺ってみたところ、結局ヒデキ君の納得いく形で供養してあげるのが一番よと。
こうして母の供養に関しては、キリスト式を尊重しつつ、馴染みある仏式の行事に基づいてお参りすることにしています。
形式を超えた気持ち
「香典」が「お花料」だったり、仏式とキリスト式の違いを挙げていけばキリがありません。
親戚や知り合いの皆さん、キリスト式は初めてという方ばかりでして、そういった細かいしきたりの違いをすごく気にされるんです。
わざわざネットで調べて、キリスト式に忠実に対処してくださるのには頭が下がります。
でも、どうか厳密に考えないでくださいね。
プロテスタントはとにかくユルイし、喪主の僕もキリスト式は初体験だらけでよく分かっていないので^^;
「お花料」と書くべきところを「香典」と書いたからって、僕ら遺族が「けしからん!」と怒ったり傷ついたりはしません(笑)
大事なのは気持ちですからね。
遺族の気持ちに寄り添ってくだされば、形式なんて二の次なんです。
僕なりの供養
宗教行事とは別に、自分なりのやり方で母を供養しています。
それは、母ゆかりのクラシック曲をピアノで奏でること。
3月以来、毎日1時間、続けてます。
この初盆に、仏教徒でない母の魂は、我が家へ帰って来なかったのかもしれません。
それでもピアノの音色に祈りを託すことが、僕にとってせめてもの慰めでした。
◾️アーカイブ音源◾️
ブルー・プラネット、地球をテーマにした美麗ダンストラック
PLANET EARTH ヒデキマツバラ by Hideki Matsubara
◾️今月のライブ動画◾️
夏色全開のオリジナルソング「サーフボード」