ヒデキマツバラの猫道Blog

ドラネコ目線でサウンドクリエイターの日常に潜む笑い、癒し、気づき、魔法をつづったキャットウォーク・エッセイ

発信するタイミング 〜真実追求とエゴイズムは紙一重〜 - Sense of Truth -

f:id:hidekimatsubara:20201118175126j:plain  

一見マイペースに見えるブロガー活動。

でも僕は、ちょっとした制約を設けていたりするのです。

 

この記事を書き始めたのが、3ヶ月前。

繊細な話題に度々及んでいるため、投稿を迷ったりもしました。

部分的に賛否両論あるかと思いますが、いちブロガーの他愛ない書き物として味わっていただければ幸いです。

 

 

数字では済まされない数字

8.6

8.9

9.11

3.11

 

ここに並べたのは、ただの数字ではありません。

お察しの通り、深い悲劇を内包した数字です。

 

1945.8.6  広島原爆投下

1945.8.9  長崎原爆投下

2001.9.11 ニューヨーク同時多発テロ

2011.3.11 東日本大震災

 

個人的にこれらは慰霊の日と位置づけ、行動を謹むことにしています。

特にソーシャルメディアに関しては言うまでもありません。

ブログ、ツイッター、ユーチューブ、インスタグラム、いずれも発信を控えて、関連事項以外は投稿しません。

 

もしかしたら、あなたにもそんな日があるかもしれませんね。

ご家族やご友人の命日だったり。

沖縄の方々にとっては6月23日。

ポーランド人の皆さんは4月13日でしょう。

 

前触れなき悲劇

こうした日程は、前もって把握できるから良いのです。

問題は、前触れなく悲劇が起きた時。

 

ツイッターやインスタグラムなどと違って、ブログは直感的に思いついたままを瞬時に投稿できません。

この猫道ブログの場合、1本書くのに半日から数日間を費やします。

すると、書こうと決心してから実際に発表するまで、タイムラグが生じてしまう。

時として、それが悩ましい結果を招きます。

 

底抜けに愉快なブログ記事を書き始めた矢先によくあるのです。

国中を揺るがす大災害が発生し、多くの人命が奪われてしまうことが。

 

ブログ開設後この4年間だけでも、数十年に一度の大災害がどれほど頻発したことでしょう。 

そうなると、人の笑いを誘う記事を書く自分が、とてつもなく不謹慎に思えてきて。

悲劇の続報が次々もたらされる中で、書き上げた記事を公開するなんて、後ろめたくてできたものではありません。

 

そのまま数日ほど様子見しながら、投稿するタイミングを見計らうことになります。

が、1週間も経てば記事内容は色あせ、機会を逸してしまう。

それでお蔵入りにした記事が、これまで何編もありました。

 

逆のパターンも然り。

世の中がおめでたムードに沸き返っている時に、水を差すような記事を投稿するのは気がひけてしまうもの。

 

配慮する文化の精神性

空気を読みすぎなのかもしれませんね。

誰にも忖度せず、書きたいものを書きたい時に書いて発信する、その姿勢も大事です。

あまり神経質になると、発信できる日が1日もなくなってしまいますから(笑)

 

とはいえ、自分の名前も立場も一切を明らかにしている以上、自分の書いたもの=美美の環スタジオとしてのスタンスだとみなされるのは想像に難くありません。

公人としてソーシャルネットワークに介在するからには、共振性を大事にしたいもの。

自分の発信した記事が、意図せず誰かを傷つけたり、誰かの気勢を削ぐのは本意ではありませんからね。

 

こうした「配慮する文化」は日本人特有のものだと思われがちですが、多くの国際人に共通しています。

相手に配慮する精神とは、国を問わず、寛容さをもって広く世の中と関わろうとする人たちがもっている「共振性」です。

言い換えるなら、それは「ハート」であり「人間性」なのです。

 

真実を追い求めたエゴイズムの正体

先月末、フランスの学校で授業中にムハンマドの風刺画を扱った学校教師が殺害される事件がありました。

自分の信念に沿わない者を全て排除してしまうテロリストに同情の余地はありません。

 

ただ、ヒーリングセラピストとして感じたことを述べさせていただくなら、この学校教師の側にもエゴイズムを感じてしまいました。

そもそもの発端となったフランスの新聞社、シャリー・エブドも同様です。

 

真実を追求するためなら、何をしても許されるの?

 

誰しも、他人に立ち入って欲しくない領域があるもの。

ましてや異文化、それも信条に関わるなら尚更のこと。

 ハートで理解し合うことが、唯一の入り口。

 

イスラム文化への敬意を払わず、真実の旗印を掲げ、表現や報道の自由を笠に着て、異文化に土足で上がりこんで相手を批判する。 

それで明らかにしようとしてるものは、本当に真実なのでしょうか?

 

イスラムを批判する人たちが証明すべきだと潜在的に望んでいるもの。

それは、相手の劣等性と自身の優位性なのでは?

 

かつてはジャーナリズムに憧れていたこともありました。

でも心の目で見てみると、ジャーナリズムは不用意に挑発と闘争を引き起こし、不安と不信と不満を増幅するのが目的であるかのよう。

人間性には程遠いエゴの臭気で垂れ込めていて、近づくべきでないと本能的に感じてしまうのです。

 

ユーチューブの例外

書いていくうち、話が白熱しました。

話をソーシャル投稿のタイミングに戻して、最後にもう一つトピックを。

 

どの媒体も日本時間に沿って発信するように設定されています。

ただ一つ、ユーチューブを除いて。 

 

ユーチューブに投稿したものは、アメリカ現地時間として処理されることになるようです。

日本時間9月12日の朝にアップしても、サイトには9月11日と反映されることに。

 

とはいえ、ものすごく愉快なものを9月11日にアップしたからと言って、お咎めがあるわけではありません(笑)

ただ、9月11日に投稿したことはずっと残り続けます。

そこに何らかの意図を見出そうとする人が一定数いる。

実名で投稿するからには、そのことも踏まえておかなくてはと思うのです。

 

執筆前のジンクス

ブロガー歴5年目。

「どうかここ数日は大災害が起きませんように」

愉快な記事を書き始める前は、そう祈るのがジンクスになりました。

 

 

◾️ヒデキマツバラ音源作品◾️

🇪🇸スペインをテーマに作った神秘的なダンスサウンド💃


🇪🇸SPANISH EYES ヒデキマツバラ by Hideki Matsubara feat. Caroline Lavelle (from “Breathe” by Art of Trance)

 

◾️今月のライブ動画◾️

フェリー・コーステンの歴史的名盤をリミックスしたライブ動画です✨


Ferry Corsten - Ligaya (Hideki Matsubara Remix) Gouryella ヒデキマツバラ