ヒデキマツバラの猫道Blog

ドラネコ視点の少し風変わりな猫道(キャットウォーク)ブログ

夕暮れの詩 〜未来からやってきた淋しさ〜 - The Saddest Sunset -

図書館へと続く夕暮れの川辺

夕暮れの詩

いわし雲が ゆきます

ポプラ並木が 揺れてます

ポインセチアが 微笑みます

 

お別れなんて さみしいです

「またね」も言えず さみしいです

 

夕映えに さようなら

 

猛烈な淋しさ

2017年、年の瀬も押し迫っていた頃でした。

今日中に図書館へ返却しとかなきゃ。

 

レッスン終わりで、夕刻の12月へ飛び出した僕は、橋を渡り、川沿いの並木道を猛然と歩いていました。

西空には、名残を惜しむように夕映えが照り映えています。

 

突然、激しい淋しさに襲われました。

理由もないのに、無性に淋しくて仕方ありません。

 

淋しさは、言葉へと形を変えてゆきました。

それが「夕暮れの詩」

詩と呼ぶにはおこがましいほどに短い詩ですが、それ以上の言葉はついに出てきませんでした。

 

淋しがらない屋

淋しがりやの妹と違って、僕は淋しさという感情を身に纏(まと)わずに過ごせる性分でした。

いつの時も、かけがえない友が傍(かたわら)にいてくれたからです。

夢中になれる音楽や、なじみ深い本たちが。

 

淋しかったことで思い出すのは、お泊まりに行った子供時代とか、名古屋でホームシックを味わった大学時代くらいでしょうか。

時としてメランコリックな感情に浸ることはあっても、それは居心地のよい感傷に過ぎませんでした。

 

だからこそ、この時図書館へ向かう僕を襲った理由なき淋しさには、困惑したものです。

その淋しさはまるで自分が故郷から分断され、後戻りできない運命へ投げ込まれるかのごとく悲劇性を孕(はら)んでいました。

 

年の瀬、夕暮れ、いずれも何かの終わりを暗示しています。

一体、何が終わって、淋しさを掻き立てるというのでしょう?

 

死の舞踏

その日を境に、友とする音楽も変わりました。

あれほど大好きなハウス/トランス/EDM等のデジタルなダンスミュージックが耳にできなくなったのです。

その代わり夢中になったのは、バッハのコラールと、サン=サーンス交響曲でした。

 

中でも聴き込んだのは、サン=サーンス交響詩『死の舞踏』

おどろおどろしいタイトルとは裏腹に、愉快なパロディー的作品です。

 

 

真夜中を告げる時計の音で始まり、骸骨の踊りをシロフォンで演奏したり、最後はニワトリの鳴き声で一斉に幽霊たちが逃げ出したり。

まるで大昔のディズニー映画音楽のように、優雅でユニークな物語仕立ての楽曲です。

 

これが当時の自分には、シリアスで真に迫った悲劇的な曲に感じられました。

死が自分を覆い尽くす感覚に囚われたのです。

耳にするたび涙が止まらず、それでも聴くのをやめられません。

 

淋しさに取り憑かれた年の瀬でした。

が、年を越して春の足音が近づいてくると、原因不明の淋しさは跡形なく消え失せてしまったのです。

 

最後の日没

それから2年後の大寒でした。

再び、あの猛烈な淋しさに襲われたのは。

 

最愛の母が息を引き取ったのです。

1年あまりの闘病介護生活の末に。

 

「夕暮れの詩」が蘇りました。

どこにも書き残さず、胸の中だけにしまっていた詩が。

 

「またね」も言えず さみしいです

詩の通りになりました。

 

あまりに突然の死でした。

最後に言葉を交わす機会はなく、母という太陽は没してしまったのです。。。

 

川辺で味わったあの激しい感情は、母を失う淋しさを予告していたんだ。

それが虫の知らせとなって時空をさかのぼり、2年前の僕に届いたのかもしれない。

 

あるいは、あの時すでに母の体内では死へと続く舞踏が始まっており、僕はそれを第六感的に察知していたのかもしれない。

そういえば当時、ミュージカル舞台用に母のプロフィール写真を撮り下ろした際、母の左目の表情に違和感があり、日を幾度も改めながら、撮り直しては断念してを5〜6度繰り返したっけ。

 

いずれにしろ、僕には故郷を失ったも同然でした。

母を失って初めて気づかされたのです。

母のいるところが「家」であり「故郷」だった、と。

 

人生最大の喪失感を被(こうむ)った後では、心の友だった音楽も読書も、もはや自分を慰めてくれません。

唯一の慰めは、同じ境遇にある友人たちと、ひたすら話し続けることでした。

愛するお父さんやお母さんを亡くした友人や知り合いと、果てることなく明け方まで語り明かしたものです。

 

今ではもう、あの淋しさに見舞われることはありません。

「死の舞踏」も落ち着いて鑑賞することができ、本もデジタルなダンス音楽も再び僕の親友となりました。

 

それでも。。。

ふと目に留めた歌詞の一節が、母の死を思い起こさせ、涙を止められない自分がいるのです。。。

 

追記:

母の命日を前に、色々とお供えが届いておりまして、心より御礼申し上げます。

たくさんの真心に囲まれ、遺影の中の母がにこやかに微笑み返しています。

お心遣い誠にありがとうございました。

 

美美の環スタジオでピアノを奏でる母、リディア美江

 

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