ヒデキマツバラの猫道Blog

愛猫家ミュージシャン、ヒデキマツバラのキャットウォークブログ

上ヶ原(うえんばら)の天狗さん 〜足りないお米 余ったお米🍙〜 - Voice of The Dead -

 

おすそ分け 

9月中旬、亡き母のふるさとから、今年も秋の実りが届いた。

 

ドドン!と新米30kg。

僕1人だと食べきるのに2年以上かかる量なので、例年おすそ分けしている。

 

うちには去年のお米もまだ余っているのに、この夏は日本中が「令和のコメ不足」でスーパーというスーパーはどこも米売り場がすっからかん。

そこで、会う人会う人にこちらから「お米は大丈夫ですか?足りてますか?」と積極的に声かけしながら、新米を持ち帰ってもらった。

お米に困っていた方々からたいそう喜ばれたし、僕としてもフードロスを防げて、一石二鳥だった。

 

天狗伝説の地

さて、個人的に気に入っているのが、ご当地の米袋パッケージだ。

「ありゃ シデの木ァ 天狗が来て とまる」

この軽妙な語り口が、ユニークな天狗のイラストと相まって、なんとも微笑ましい^^

 

なぜ天狗なのか?

と言うと、母のふるさとには天狗伝説があるのだ。

 

世界で唯一ここしか生えていない、珍しいシダの木の変種も群生しており「テングシデ」の名で天然記念物に指定されていたりする。

 

母自身、幼少期に不思議な体験をしている。

今日はそのお話をするとしよう。

 

イカのお使い

今からおよそ70年前の、ある夏の日。

そこは中国山地の、広島と島根との県境にある、のどかな里山

 

当時まだ小学生だった母は、母親──つまり僕のおばあちゃん──からお使いを頼まれ、上ヶ原(うえんばら)へスイカを買いに出かけた。

上ヶ原とは、裏山を登った先にある高原のこと。

 

その裏山は子供の遊び場だったし、上ヶ原までおつかいを頼まれることも珍しくなかったという。

でも今の感覚からすれば、そんな小さな少女が1人であの山を越えてお使いに行ってたなんて、心もとなくてありえない。

陽のある日中であっても、木立の茂るあの山道を1人で超えるとなると、大人の僕でさえ勇気を要するだろう。

まして終戦まもない当時は、1人で山に入った子供が神隠しにあった、なんて話も珍しくなかったようだ。

 

その小さな少女はお財布を握りしめ、意気揚々と細い山道を登っていった。

お天道様は天高く、まぶしい木洩れ陽となってあたりの木立に降り注いだ。

森の緑は、天然のクーラーのように涼しい。

 

こうして山を登ること数十分、上ヶ原へたどり着いた少女は、丸々としたスイカをネットにぶら下げて帰路についた。

そして再び、緑深い山道の中途に差し掛かった時のことである。

 

うえんばらの声

「シゲ子や〜、シゲ子や〜」

山の中から、聞きなじみある老人の声がした。

 

それは裏手の家──と言っても距離にすれば数百メートルも離れた先──で暮らしているおじいさんの声だった。

その家には「シゲ子さん」という名の孫娘がいるのだ。

 

あら、裏手のおじいさん、山中でシゲ子さんを探しているのね。

そう思って辺りを見回したが、誰の姿も見えない。

 

「シゲ子や〜、シゲ子や〜」

おじいさんの声は、風に乗って、山の中に響き渡る。

 

「シゲ子や〜、シゲ子や〜」

シゲ子さんの行方、まだ分からないのかしら?

 

「シゲ子や〜、シゲ子や〜」

その声は、山を下るまで続いたという。

 

帰宅した少女は、スイカを手渡しながら、母親に伝えた。

「裏のおじいさん、山の中でシゲ子さんのことを呼んで探してらしたわよ」

 

すると母親は、神妙な面持ちで我が娘を見つめ返した。

「……裏のおじいさんって……だって、あの方……先日、亡くなられたでしょ……」

 

里山の恵み

僕が物心ついた時から、よく母が語り聞かせてくれた体験談。

すごく不思議で、ちょっと怖くて、強く印象に残っている。

 

母は言っていた。

そのおじいさんの声が忘れられないと。

 

僕が忘れられないのは、母がその声色を真似て「シゲ子や〜」という語り口。

普通なら「ゲ子」の「シ」にアクセントがつくべきところを、「シ子」の「ゲ」につくのだ。

 

少女時代の母が耳にしたのは、死者の声だったのだろうか?

それとも、天狗の声だったのだろうか?

 

そういえばもう1つ、ご当地に語り伝えられている民話があって。

「うえんばらギツネ」と言って、人を騙すイタズラ者の狐がいたという。

 

いずれにせよ、山の中には、人智を超えた不思議が宿っているのだろう。

そうした存在と共生しながら、ご先祖様たちは田畑(でんぱた)を大事にしてきたに違いない。

 

そして僕ら子孫は、ご先祖様のおかげで、今でも豊かな恵みにありつける。

周りにおすそ分けしても有り余るほど、豊かな恵みを。

 

「うちの田んぼで取れるお米は、日本一美味しい」が口癖だった生前の母。

炊きたての新米を、神棚と仏壇にお供えして、感謝の祈りを捧げた。

 

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