いよいよ今日からワルシャワでショパン国際ピアノコンクールがスタートしました。
この5年に一度の祭典に合わせて、日本国内でもショパンコンクールにゆかりあるピアニストの公演が続いたり、コロナ禍で1年延期された前2021年大会の舞台裏を描いたドキュメンタリー映画「ピアノフォルテ」が各地で順次公開されたりと、全国的に大盛況です。

デビュー40周年
98年もの歴史を誇るショパンコンクールで、近年とりわけ印象深く白熱したのが1985年大会でしょう。
圧巻の実力で優勝したブーニンは当時の我が国でも一大ブームと論争(!)を巻き起こしましたし、日本からは小山実稚恵さんが4位入賞の快挙を成し遂げるなど、今も現役で活躍する名ピアニストたちを数多く輩出しました。
この伝説的な1985年大会に、20歳で挑戦して3位に輝いたのが、本記事で特集するクシシュトフ・ヤブウォンスキ(画像右端)です。

ポーランド出身のヤブウォンスキは「出場を次回に見送っていれば優勝できた」と評されるほどの逸材で、ショパンの祖国ポーランドの正統派ピアニストです。
近年ではショパンコンクール審査員も務めながら、世界各国で演奏活動を続け、音楽大学教授としてアカデミックな立場で後進の育成にも意欲的です。
そんなヤブウォンスキが、このたびデビュー40周年を記念して来日。
日本各地でリサイタルとマスタークラスが開催され、僕は廿日市(はつかいち)公演に参加してきました。

実力の割に日本国内では知名度の低いヤブウォンスキですが、僕が8月にこの公演を知った時点でチケットは既にほぼ完売。
ただ幸運なことに、残った数席のうち、なぜか前から5列目のど真ん中が1席だけ空いていました。
「さぁ、あなたのために座席を確保しておきましたよ」
音楽の天使が囁きかけてくれた気がして、即座に予約ボタンをクリックしたのでした。
新しい客層
廿日市のウッドワンさくらぴあ大ホールは、音楽家だった僕の母が15年前に立った舞台ということもあり、ノスタルジックな気分に襲われながら会場入り。
すると、そこはショパン作品を愛してやまない1000人の聴衆の熱気に満ちていました。
新鮮に感じたのは、クラシック音楽の客層が多様化したこと。
前時代はドレスアップした文化的な中年マダムと格式深い中年紳士で占められていた客席も、今やカジュアルな一般市民客が大半で、単身で来場している人の姿も数多く見受けられました。
周囲を見渡せば、学生風の若い男の子だったり、普段着のおじいさんだったりが大勢いて、パッと見、クラシック音楽愛好家だとわかりません。
思うに、YouTubeなどネットを通じて、クラシック音楽の魅力に目覚めたリスナーが増えた影響なのでしょうね。喜ばしいことです。
隣の席の女性は、チェコフィルハーモニー管弦楽団の公演について、連れの男性と熱心に論じあっています。
音楽を愛する同族意識を感じながら着席した僕は、幕が開くのを待ちました。
全曲ショパンプログラム
客電が落ち、軽やかな足取りで舞台に登場したヤブウォンスキ。
その風貌は、チラシ写真から受ける印象とは大きくかけ離れていました。
深く一礼して、肩まで伸びた白髪を手ぐしで撫で上げながらピアノの前に立つヤブウォンスキは、背が2メートルはあろうかという巨漢。
そんな彼の奏でる第一音は、さらに思いがけないものでした。
ノクターン第3番
なんと澄み切った音色の美しいことでしょう!
そのきめ細やかな響きを、もし布地に例えるなら、空を泳ぐ天女の羽衣(はごろも)さながら。
見るからに豪快な演奏をしそうな巨体な男性の指先から、こんな繊細な音が紡ぎ出されようとは。
舟歌
実は、本作品こそ僕のお目当てでした。
ちょうどこの大曲に取り組んでいる僕としては、何としても本場ポーランドの演奏家による生演奏と演奏解釈を必要としていたのです。
僕のピアノ人生の中で最も譜読みに苦労させられたこの作品を、ヤブウォンスキは叙情豊かにスイスイと漕いでいきます。
あぁ、なんと幸せな時間でしょう。。。
その豊かな音色は、混沌とした現実世界の中で、干上がりかけていたロマンの泉が水脈を見つけて再び潤いを取り戻すように、僕の魂までも洗われて再生されてゆくようです。
チラシに掲載された演奏予定曲目が、本番では半数近くも変更された中で、舟歌が聴けたのは幸いでした。
ポロネーズ第5番
ロマンティックなプログラムが続いた後で、男性らしいダイナミックな演奏にシフトします。
ポロネーズとは、土着の歌や踊りに端を発して宮廷文化へと洗練されていったポーランド民族舞踏曲のことで、ヤブウォンスキならでは本場の演奏は聴き応えがありました。
前列5列目ともなれば、息遣いまで伝わってきそうな距離感で、彼の奏法や表情をじっくり観察できたのも嬉しかったです。
ちなみに電子音楽であっても息遣いを感じさせる音使いが大事だ!というのが僕の持論でして、作曲編曲クラスの生徒達にもそう指導しています。
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
リサイタル前半のハイライトは、有無をいわせない演奏で、華麗なピアノの響きに気持ちを鼓舞されるがごとく、祝福に満ちた演奏でした。
この曲は帰宅した後もずっと頭の中でリフレインし続け、その夜は興奮と感動で翌朝まで一睡もできませんでした。
録音技術がどれほど発達しようと、動画配信がいくら普及しようと、生演奏に勝るものはありませんね。とりわけクラシックピアノは!
4つのマズルカ(第14〜17番)
リサイタル後半は、マズルカが4曲続きます。
マズルカもポーランド民族特有の楽曲ですが、洗練されたポロネーズと違って、農村の民俗音楽に由来した舞曲であり、生粋のポーランド人でないと再現できない空気感があります。
夢見心地でデリケートな音でありながら、感傷の海に溺れすぎない男性らしいマズルカでした。
禁断の第4楽章 〜ソナタ第3番〜
リサイタル本編のフィナーレを飾ったのが「ソナタ第3番」
結核を患ったショパンが祖国に残した父の訃報に接し、心身とも虚脱状態にあったところへ、姉と14年ぶりの再会が叶い、英気を得て取り組んだ壮大かつ重厚な作品です。
これぞプロのピアニストの真骨頂を味わえる作品で、旅に例えるなら、1つの山ではなく、山脈を踏破するような大作です。
とりわけ第4楽章は、個人的に「生きてるうちにいつか挑んでみたい」と密かに憧れています。
が、難易度の高さとは別に、どこか鬼門のようなものを感じて、取り組むことにためらいがありました。
なぜそんな風に感じるのか自分でもわかりませんでしたが、ヤブウォンスキーの生演奏を体感して、その理由が明らかになりました。
ヤブウォンスキが第4楽章に突入した途端、滝のような和音が掻き鳴らされます。
あ、これ、ヤバい、僕は目を瞑(つぶ)りました。
ドン!ドン!ドン! まるでその滝が自分めがけて直撃してくるように、胸に堪(こた)える衝撃でした。
こちらヤブウォンスキのカナダ公演リサイタル動画だと、1時間36分から始まるのが第4楽章です。
https://www.youtube.com/watch?v=sd-D7xkNp60
パンドラの箱が開くのを感じました。
人生で一番過酷な思いをした6年前の記憶がフラッシュバックします──死神が最愛の母を奪おうと襲いかかってきた暗黒の1年──衝撃──母を飲み込もうとする死の口──抵抗──守らなきゃ!落ちていく母の腕を無我夢中で掴む、絶対離すものかと──繰り返される猛威、危機的状況の連鎖──死の奔流に抗(あらが)って奮闘した1年が過ぎ、希望の光をつかみかけた矢先の敗北。
まるで、こと座の由来となったギリシア神話「オルフェウスとエウリディケ」のような結末。
僕はグッと目を閉じたまま、滝の咆哮のようなヤブウォンスキの演奏に翻弄されていました。
こういう時、家で1人きりなら、思いのまま涙に掻き暮れて感情を押し出すこともかないましょうが、ここは大ホールの前列中央席。
慟哭(どうこく)するわけにもいかず、強く目を瞑(つぶ)るしかありません。
音楽と人生の奇妙なつながり
偉大な音楽作品というものは、時に、人生と奇妙な繋がりをもつものです。
それは「わけもなく心惹かれる曲」のこと。
今の自分にとって、それがショパン「ソナタ第3番」第4楽章なんですね。
2019年に母を巡って僕が死神と繰り広げた闘いの1年を、ショパンは1844年の時点でこの作品で描き切っているのですから。
これは持論ですが、偉大な作曲家の共通点は、古今東西の個々人が持つ感情や人生ドラマを、芸術音楽にまで昇華した点にあるのではないでしょうか。
未来の人々が味わう喜怒哀楽さえも予見して、それを芸術作品の中に織り交ぜてしまえるのです。
だからこそ、そうした音楽作品は永遠の命を得て時代を超え、今なお多くの人々の胸に生き生きと響くのでしょう。
第4楽章を弾き終えたヤブウォンスキーは、満場に響き渡る熱烈な拍手喝采の中、ステージを後にしました。
嵐の夜が過ぎ去り、新しい朝の光と風によって魂が鎮められてゆくのを感じながら、ゆっくり目を開いた僕は、その拍手喝采に加わったのでした。
(つづく)
続きはコチラ
ブログランキングに参加中です。ポチしていただけましたらとても励みになります。