ヒデキマツバラの猫道Blog

愛猫家ミュージシャン、ヒデキマツバラのキャットウォークブログ

幻のアンコール曲 〜クシシュトフ・ヤブウォンスキ40周年記念リサイタル廿日市公演レビュー(後編)〜 - Not Old But Classical -

ショパンコンクール審査員でもあるピアニスト、ヤブウォンスキ

 

20日間に及んだショパンコンクールで、日本から桑原志織さんが4位に入賞されましたね。

おめでとうございます!

 

世界から過去最多600人以上の応募があった今大会では、予備審査を経て1次予選に進めたのがわずか84名!(うち日本人13名)

500人以上も失格になってコンクールに出場することが叶わなかったわけですが、その中には輝かしい経歴を持ったプロピアニストも大勢含まれていました。

既に国際コンクールで入賞歴があり、国内外での演奏活動やCDリリースを展開している知名度あるプロピアニストたちでさえも!

その厳しい審査基準について、コンクール主催団体トップが語った興味深い記事を見つけたのでご紹介しましょう。

このインタビューによると、いくら演奏が素晴らしくても「ショパンを弾くには何かが足りない」と思われた応募者は皆、落とした、とあります。

その「何か」というのは「感情表現」だとも述べられていますね。

このことに関して、前回記事に掲載したヤブウォンスキの発言と相通ずるものを感じました。

 

さて、そのヤブウォンスキの活動40周年記念リサイタルのレビュー特集もいよいよ大詰め。

最終回では、2つのアンコール曲と、それにまつわるエピソードを取り上げます。

 

●これまでの記事はコチラ

  

 

突然ですが…

イントロクイズです。

ヤブウォンスキがアンコール1曲めに弾いた作品は何だったでしょう?

冒頭2小節を説明した以下の文章をヒントに、推理してみてください♪

 

まず一音目は、両手オクターブで変イ長調の属音es。これだけでショパンのあの名曲だ!と当てたあなた、ブラボーです!

そこから半音移調して、イ長調の主和音の第1転回形 cis-e-a [コードネームだとA/C#] から半音進行で6つ上行していき、変イ長調の属和音の第1転回形 g-b-es [Eb/G] へ回帰。

そして和音3つ、属和音の基本形 es-b-g-b [Eb] → 長2度上の eses-as-ces-fes [Fb7/Ebb] (であると同時に、イ長調の属七和音の第3転回形 d-gis-h-e [E7/D] の異名同和音でもあります!) 変イ長調の属和音 es-g-b-es-g (Eb) へと再回帰。

 

ふふ、なんだか音楽大学で楽曲分析の講義をしているみたいですね(笑)

イントロ3〜4秒分の演奏を言葉にするだけでも、こんなまどろっこしい説明になってしまうのです。

ちなみに文中 eses は打ち間違えではなく「ミ」のダブル・フラットを意味するエセスで、日本語では「重変ホ音」と言います^^

さて、この名曲の正体は?

 

英雄ポロネーズ」でした!

クラシック音楽を聴かない方でも、動画の40秒あたりから再生していただければ、たちどころにピンとくるはず。

 

生演奏に勝るものなし

ハイライトにふさわしい英雄ポロネーズは、まさしくポーランド音楽芸術の粋を極めた名曲。

それを本場ポーランドの一流ピアニスト、ヤブウォンスキが全身全霊で弾くのですからたまりません。

前から5列目で聴いていた僕は、そのダイナミックでエネルギッシュな熱演の虜でした。

 

なにしろこの名曲は、僕が物心ついて初めて意識した憧れのピアノ曲

来年1月には演奏を頼まれていて、この6月以来ずっと最優先で練習に取り組んでいる最中なのです。

そんなタイミングで生演奏が聴けるとはツイてます。

そこには生きた学びと発見がいっぱい。

くぅ、そこで内声を歌わせてしまうとは!さすが!と唸りっぱなし痺れっぱなしの僕でした。

 

生演奏に勝るものはありません

音楽とは音そのものではなく、響きを伴うから。

音楽とは演者が奏でるだけのものではなく、聴衆の熱気によって高められるものだから。

 

根っからのエンターテイナー気質

英雄ポロネーズで華麗なフィナーレを決めたヤブウォンスキは、何度もカーテンコールに応えます。

さぁ2曲めのアンコールか、と思っていると、突如ジェスチャーを始めました。

その仕草と来たら、ピエロか「トムとジェリー」かというほどにおちゃめで、僕らの方を向いたまま両肩を上げたヤブウォンスキは、両手でピアノを指差すと、指先を動かして弾く真似をしながら、おどけた笑顔をしてみせます。

まるで10才の少年が「もうちょっとばかりサービスで弾いちゃおっか?」と言ってるようで、客席は笑いと拍手の渦です。

どうやらヤブウォンスキさん、根っからのエンターテイナー気質なのでしょう。

 

さて、アンコールにどんな曲を弾くかは、ピアニストの選曲センスが問われる場面。

メインディッシュ級だった「英雄ポロネーズ」の次は、デザート系の軽い小品がくるだろう。

と思いきや、あららら?

これもクラシック音楽? じゃない、よね?

 

幻のアンコール曲

それは聴きなじみのないメロディーでした。

が、美しくも悲哀の滲(にじ)んだ旋律が、たちどころに僕ら聴衆の心を捕らえます。

 

ガラス細工のように繊細でセンチメンタルに奏でているかと思えば一転、荒波にもまれた大型船のごとくドラマティックな演奏に転じます。

楽曲の構造は <Aメロ→Bメロ→サビ> という典型的なポップミュージック。

時折、洒落たジャズ奏法まで織り込まれ、まるで会場は上質なカクテルバーの雰囲気に包まれます。

 

これは一体、何の音楽でしょう?

映画音楽か? はたまた東欧ジプシーの哀歌?

気になって仕方ありません。

客席を魅惑と恍惚の極地へ誘(いざな)ったヤブウォンスキは、演奏を終えると再び少年フェイスに戻り、大きく一礼、満面の笑みでステージを後にしたのでした。

 

名曲探偵の社交術

「最後の曲、何ていう曲かご存知です?」

客電が上がるなり、僕は思い切って隣の女性に声をかけてみました。

本記事の前編でも述べた通り、連れの男性と論じ合っていたクラシック通の彼女なら、知ってるかもしれません。

すると彼女もあの曲に感銘を受けたようで、ほれぼれした表情でこちらを向くと言葉が迸(ほとばし)り出ました。

「私も知らないんです。すごく美しい曲でしたね。ヤブウォンスキのCDに収録されたりしているんでしょうか? 探してみようと思います」

そのまま彼女は座席に座り込み、聴衆の半分が退出しても、放心状態で余韻に浸ったまま。

 

ふむ、クラシック通の彼女でさえ知らないとなると、やはりクラシック音楽ではなさそう。

こうなったら、幻のアンコール曲を知る手がかりはロビーだ! *クラシックのリサイタルでは終演後アンコール曲目がロビーに掲示されます

 

隣の彼女に挨拶して席を立った僕は、ホールを出て、ロビーでキョロキョロ。

むむ、何も掲示されていないではないか。

そこで近くのスタッフに声をかけてみたところ「確認してまいります」

 

すると僕の目の前で、お歳を召した2人連れの華やかな身なりの御婦人方が、別のスタッフに同じ質問をしてます。

そのスタッフも「少々お待ちください」と姿を消しました。

 

仲間意識を感じて嬉しくなった僕は、お声をかけてみました。

「やっぱり気になりますよね、最後のアンコール曲」

こうして意気投合した僕ら。

 

なんだか社交パーティーでもないのに、他人に対して話しかけるのこれで3度め(笑)

こうして気軽に交流できるのは、1人行動のメリットですね。

 

思いがけない証言

すると片方の御婦人がこんな事を言いだしたではありませんか。

「あれはピアソラの曲なんですよ。曲名まで分からないんですけど」

 

おぉ! ついに手がかりが得られた!

でも、その「ピアなんとか」が何者なのか、映画タイトルなのか、ユニット名なのか、僕には見当もつきません。

 

即座にスマホでグーグル検索を開きながら、御婦人に問い直します。

「えっと、すいません、ピ、ピア、何でしたっけ?」

 

ピアソラです。バンドネオン奏者の」

バンドネオン!? するとアルゼンチン・タンゴか!

良い音楽ならジャンルを超えて愛してきた僕でも、タンゴとなれば未知の領域。

 

「以前、ヨーヨーマ(*チェロ奏者)が演奏されていたのを耳にしまして」

そう言う御婦人を、僕は感心の眼で眺めました。

果たしてその日の聴衆1000人中、アルゼンチン人バンドネオン奏者ピアソラの名をポンと出せる人が他にいたでしょうか?

きっとこの御婦人もジャンルに捕らわれず、心から音楽を愛してこられたんだろうなぁ。

 

アカデミアへの反逆

御婦人に尊敬の眼差しを向けているうち、アンコール曲が公表されました。

ホントだ、ピアソラの「オブリヴィオン」

なんと! 驚いたことに、編曲はヤブウォンスキ当人でした!

まさか一流ピアニスト自ら、クラシック以外の作品を編曲までして、リサイタルの場で披露するとは!

これまで何百ものリサイタルに足を運んできた僕ですが、クラシック一筋の実力派ピアニストがこんなサプライズをするのは前代未聞です。

 

まして音楽大学教授というアカデミックな立場にもあるお方がねぇ!と二重の驚き。

なにしろクラシック界、とりわけ伝統的な名門音大には「クラシック以外の音楽はゴミ」と断じる旧時代的なエリート意識が色濃く残っているので、公のリサイタルでのこうした試みは反逆的といえるでしょう。よく聞かれますが、僕が地元の音大に進学しなかった理由もそれで、権威主義に対する反骨精神からです。当時既にポップス方面で音楽活動してたので。

 

さて「オブリヴィアン」ピアソラ当人の演奏がコチラ。

調べてみたところ、原曲はイタリア映画音楽だったようで、ライトなクラシック音楽家たちも好んで演奏しているようです。

ヤブウォンスキ自身の演奏による動画は見つかりませんでした。

やはり今回の来日ツアーのサプライズとして特別に披露されたのでしょう。

 

音楽がつなぐ愛情

アンコール曲の張り出された掲示板の前で、先程のスタッフや御婦人方と肩寄せ合って打ち解ける僕ら。

ほんの数分前まで赤の他人だったのに、音楽がつないでくれた仮の宿のような仲間意識にほっこり。

 

すると、ロビーにいた聴衆がワラワラと集まって来ました。

その数20〜30人くらいいたでしょうか、若者から中年からお年寄りまで皆、瞳を輝かせて掲示板に見入ってます。

そうかぁ、みんなロビーにとどまって、アンコール曲の公表を心待ちにしていたんだ。

あの美しくも哀しい曲のことを知りたい、という純粋な気持ちを胸にしながら。

 

音楽を愛する心に満ちた、そのロビー。

紛争と殺人と物価高騰とオーバーツーリズムとエゴまみれの世にあって、その空間は音楽愛が咲き誇る汚(けが)れなき楽園のようでした。

 

芸術を愛すること

それは、魂の飢えと渇きを癒やすこと

それは、人生に光と豊かさをもたらすこと

音楽愛でつながった大きな仲間意識を感じながら、後ろ髪を引かれるようにその場を後にした僕は、雨上がりの下、幸福な気持ちで家路についたのでした。

 

というわけで、3回に渡ってヤブウォンスキ公演レビューを特集してまいりました。

クラシック音楽の魅力や面白さが少しでもお伝えできていれば幸いです。

 

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