ヒデキマツバラの猫道Blog

サウンドクリエイターの日常に潜む笑い、癒し、気づき、そして魔法をつづったドラネコ風エッセイ

世界で3番目に好きな人からの贈り物

湯船に浸かったら、体がじんわりあたたまります。

お風呂上がり、ベランダに出たら、気持ちいい夜風が待ってます。

あたたかさも涼しさも肌に心地よい。

 

そんな季節に、ちょっと嬉しいことがありました。

久しぶりに叔母さんとお会いしたのです。

 

 

僕の叔母さん

僕の叔母さんは、たおやかで優雅な人です。

その動作、口調、行動様式、いずれもゆったりしたテンポ感ながら、合理的で無駄のないしなやかさ。

まさしく貴婦人。

あくせく動いたり感情を爆発させる叔母さんなんてお目にかかったことがありません。

これほどスマートに家事をこなせる人も珍しく、広いお宅はいつもピカピカ。

そんな叔母さんを見ていると、主婦業でさえかくも魅力的に映るほど。

 

叔母さんとの愉快な思い出エピソードをひとつご紹介しましょう。

まだ小学校に上がって間もない頃でしょうか。

叔母さんから訊かれました。

「ヒデくん、世界で一番好きな大人の人って誰?」

 

「お母ちゃん!」

僕は即答します。

 「じゃあ2番目に好きな人は?」

「お父ちゃん!」

「3番目は?」

 

そんな具合に、問答は終わることなく続いてゆきます。

僕は訊かれるがまま、素直に答えてゆきます。


「じゃあ、5番目に好きな人は?」

「え~っとね、叔母ちゃん!」

「あらぁ、わたし、5番目なの?」

叔母さんは嬉しそうな反面、少し残念そう。

 

そこで叔母さんから思いがけない申し入れが。

「ねぇ、ヒデくん、わたしのこと、3番目に好きになってくれない?」 

僕は嘘がつけない純真な子供でしたから、この時は慎重に熟考したものです。

「うん、いいよ、じゃあ、叔母ちゃんが世界で3番目に好き!」

そう答えた時の叔母さんの笑顔が忘れられません。

 

僕の叔母さんはそんな人。

マダム然とした気品のどこかに茶目っ気が潜んでいて、ウマが合いました。

嘘をつけない純真な大人がいるとしたら、それは叔母さんです。

 

折々につけ、叔母さんからは心に残る言葉を贈っていただきました。

僕が父を亡くして程なく実現したソロデビュー公演後に届いたお便りは、今も僕の胸に焼きついています。

「ひとりでステージを堂々とこなしてるヒデくんを見ていたら、

 まだ小さかった頃のヒデくんを思い出しました。

 よくここまで立派になったと、本番中ずっと泣けて泣けて仕方なかったです。」

 

香り立つ作家魂

つい先日、藪から棒に誉められたのは、久しぶりに再会した叔母さんたちと一緒に食事をしていた時でした。

 

「ヒデくん、すごくたくさんの本を読んでるでしょう?

 ヒデくんの書いたもの読んでるとわかるのよ。表現力が豊かで。」

 

親戚のひいき目?

いいえ。

飾らず、本当のことしか言わない率直な叔母さんのこと。

叔母さんが誰かを誉める時、それは本心からの言葉にほかなりません。

 

僕は感動してしまいました。

誉められたこと以上に、叔母さんの豊かな感受性と洞察力に触れることができて。

 

文章の豊かさを判別できるのは、それだけ多くの作家たちの魂に触れていることの表れ。

きっと叔母さんは僕の書いた文章の行間に、多くの作家たちから受け継がれた香気や味わいを感じ取られたのでしょう。

 

そういえば叔母さんと僕の共通点は語学好きなところ。

結婚後も語学に打ち込まれ、英語やドイツ語を熱心に学んできた叔母さん。

ベルギーのペンパルとは学生時代以来の文通相手だとか。

世界の名著だけでなく、異国の感性を宿した美しい文章表現にもめぐり逢ってこられたことでしょう。

 

そうした豊かな感性を宿した叔母さんに誉められたことは、まるで特別な贈り物をいただいたようなもの。

だから嬉しさも格別でした。

 

賞賛する人、批判する人

人徳のうち最も素晴らしいことのひとつは、誰かを賞賛することだと思います。

それはただ単に相手の能力や感覚を認めて励ましや勇気を与えるという行為のみならず、ものの価値判断を見極める尺度が備わっていることの表れでもあるから。

 

まるで蒸留酒のようなもの。

豊かなものと数多くめぐり逢い、それが自身の感性に溶け込み、長年かけて磨かれ熟成されていってこそ、ものの価値がわかるのですね。

それは類まれなる才能だとさえ言えるでしょう。

 

娯楽作品やネットを読んでばかりでは、知覚が育ちません。

インスタント食品やファストフードで食事を済ませてばかりでは、味覚が育ちません。

合成繊維の衣類に身を包んでばかりでは、触覚が育ちません。

 

芸術性に無縁だと、美意識が育まれません。

一流を知らなければ、目的意識が育まれません。

 

どれも肉体の生存本能によって後回しにされたり無視されがちなもの。

でも作り物や偽物が自分の周りに蔓延してしまうと、魂の糧を失ってしまいます。

それでは自分が手にしているはずの恵みや実りにさえ気づけなくなります。

そこに批判精神がつけ込んできて、人格をのっとられるのは時間の問題。

そうなれば、人の外見と内面は年相応に老いていくばかりです。

 

人生で最も価値があること

何の本で読んだかは忘れました。

誰か偉人の言葉だったように記憶しています。

人生で最も価値のあること、それは「めぐり逢い」だと。

人がこの地上に生を受けることを選んで生まれてきたのは、何かとめぐり逢うためだと。

 

めぐり逢うのは、なにも人だけとは限りませんね。

豊かな文章とのめぐり逢いもあるでしょう。

豊かな音楽とのめぐり逢いもあるでしょう。

 

あなたの人生を一変させるめぐり逢いもあれば、

一期一会に通りすぎるめぐり逢いだってあるでしょう。

 

爽やかな夜風とのめぐり逢い。

絶妙なお湯加減とのめぐり逢い。

それらも僕の日常に豊かさをもたらす嬉しいめぐり逢い。

 

めぐり逢いとは、待つものではありません。

めぐり逢いとは、探すものでもありません。

めぐり逢いとは、気づくもの。

 

めぐり逢いは毎日、あなたの生きる世界のどこかでもたらされます。

朝一番に生まれた秋風。

南の空を渡ってゆく雲の城。

夕暮れに開演する鈴虫たちの音楽会。

 

あなたの周りの世界で営まれるもの。

そのひとつひとつがめぐり逢いの合図。 

 

それもまた真なる贈り物。

魂の糧となるめぐり逢い。

賞賛の中に身を置ける在り方。

 

優しい口癖

僕はそう簡単にネをあげません。

そう簡単に弱みを見せません。

 

だけど、なぜだか叔母さんには見透かされます。

そして口癖のようにいつも優しく声をかけてくれます。

 

「ヒデくんは頑張りすぎるからねぇ。

 無理しないでいいのよ。

 人生、ケセラセラ

 なるようになるから。

 気楽にいけばいいの。」

 

そんな叔母さんが近年、大病を患われました。

今でも検査は欠かせません。

でも叔母さんのたおやさ、率直さ、無駄のなさ、そして叔母さん特有の感性は輝きを失いません。

豊かなものを目にすれば賞賛して、率直に相手に伝えます。

 

その姿から、僕は学びました。

身体に問題を抱えていても、豊かな感覚や精神性は損なわれないのだと。

置かれた状況が深刻でも、人生の果実から香気までは奪えないのだと。

 

久しぶりに再会した叔母さんのおかげで、今日はこんなブログに仕上がりました。

叔母さん、いつもどうもありがとう。

お体、どうぞ御大事に。

 

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(一番右の子が僕、真後ろに叔母さん)

 

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