普段はネコかぶってるヒデキマツバラ。
それも、ネコというネコの中で一番おとなしくて穏やかなドラネコをかぶっております。
でも、外面に騙されてはなりませぬ。
ネコですもの、爪を隠し持っていることには変わりなく。
その人畜無害な物腰の裏にも、反骨精神は潜んでいるのですから。
ベルサイユ風ヒッピー
令和時代の幕開けを飾ったプリンスホテル公演。
それは美美の環スタジオ二代目ヒデキマツバラが初めて手がけた新生「美美の環」のステージでもありました。
コンセプトはCLASSY & LUXURY(クラッシー&ラグジュアリー)
エレガントで第一級の贅沢感を打ち出した舞台。
そこでヒデキマツバラがテーマに選んだのが、ヒッピーとルイ王朝でした。
かたや、伝統や権威に束縛されぬ自由の謳歌を掲げたヒッピー文化。
かたや、人民を掌握して絶対権力を誇った王侯貴族の宮廷文化。
その対極的で相容れない2つの文化を、ヒデキマツバラはひとつのステージに共存させてしまいました。
コンサートのオープニングを飾ったキャスト総出演の「スカボロー・フェア」
サイモン&ガーファンクルによって、かつて反戦歌の象徴ともなったスコットランド民謡。
髪もヒゲも伸ばしっぱなしなヒッピーのカップルが、GパンにTシャツの粗野な格好で抱き合い口ずさむ光景をイメージされる方もいるでしょう。
そんなヒッピーたちの哀歌を、華やかなりしベルサイユ宮殿に集う王侯貴族のドレススタイルで着飾ったキャストたちに歌わせたのですから、大胆不敵。
それもヨーロッパ王家の礼儀作法を振付演出に取り入れた上、一流ホテルの宴の間で。
こんな挑発的な試みも、そうそうありますまい。
「スカボロー市場に行って、私がかつて愛した人に伝えてください」と歌われるスコットランド民謡。
それをベトナム戦争で帰らぬ人となった恋人への哀歌としたのがサイモン&ガーファンクル。
それを政略結婚のため自由恋愛が許されなかった王侯貴族たちの哀歌へとトランスフォームしたのがヒデキマツバラ。
名曲というものは、あらゆる解釈を可能にする懐の深さがそなわっているものですね。
3つの鍵
ヒデキマツバラは一体どんな意図でこうした演出をするに至ったのでしょう?
「すべては偶然の成り行きだった」と前置きした上で、彼は語り始めました。
──なぜスカボロー・フェアをベルサイユ風に?
人と同じことをやるくらいなら、やらないほうがマシだと思ってるから、やるなら徹底しようと(笑)
豪華なドレス姿でオペラを歌っても、ありきたりでつまらない。
でもヒッピーたちのフォーキッシュな哀歌を、華やかなりし宮殿の舞踏会で王侯貴族が歌う!
この逆転の発想、痛快じゃありませんか♪
何度生まれ変わっても相容れることのない価値観を持った両者でも、舞台の上だとひとつに丸め込むことができるんだもん。
人生という貴重な時間を何かに捧げるなら、こういうクリエイティブなことに津癒したいよね。
大事なのは独創性と遊び心。
──どこから独創的な発想を得られるの?
共通点のない別々のものを組み合わせることによって。
相反するもの、矛盾するものを組み合わせたら、突拍子もない愉快なことが起きるね。
もしキミが創作したり何かをプロデュースしたいって思ってるなら、良いアドバイスがひとつあるよ。
材料を3つ集めてごらん。
その3つの異なる要素を融合させることができたら、他人には絶対真似できない最強のオリジナル作品が生まれるから。
──今作のステージで説明すると?
1 選曲:60年代のアメリカンヒッピー
2 演出:18世紀のヨーロッパ宮廷文化
3 それらを組み合わせて、欧米人ではない僕らが21世紀の日本で体現する
この3つの組み合わせを思いつく人は、世界のどこにもいないでしょ(笑)
──題材を3つ得るだけでいいの?
うん、例えば「ドラえもん」
なぜドラえもんがユニークな存在になり得たか?
それは、3つの異質なものを組み合わせたから。
すなわち「ネコ」「ロボット」「未来」
どれも脈絡ないけど、それが合体したことでドラえもんが誕生した。
連想ゲームで「ネコ/ロボット/未来」って言われたら、みんなドラえもんしか思い浮かばないでしょ?
ヒット作やインパクトの強いものには、必ず3つの要素が組み合わさってるんだよ。
──3つじゃないとダメ?
うん、3つじゃないとダメ。
2つだと弱い。もう既にやり尽くされた感ありあり。
1つでは論外。日記並みに平凡。
4つ以上だと収拾つかなくなる。
トライアングル(三角形)が最も強いエネルギーを放つ。
影の魅力
──ヒデキマツバラの代になって「美美の環」はどこへ向かうの?
先代であった母は、何を提供するにおいても最上級かつオンリーワンなものを目指した。
それはお金をかけて上質なものを提供するだけでなく、創造力を惜しみなく注いで素敵な夢を紡いで人に見せるという意味でも。
そんな美美の環スピリットを、僕の代でも継承していきたい。
クラッシー&ラグジュアリーこそ「美美の環」の原点であり、「美美の環」にしかない最大の武器だから。
──例えば?
出演キャストの衣装が良い例だね。
もし10代や20代の子だったら、どう背伸びしてもあのドレスは絶対着こなせなかったはず。頑張っても着せ替え人形止まり。
だけどある程度、歳を重ねた人が極上に着飾ると、不思議なリアリズムが生まれる。
時間(=人生経験)を積み重ねてきた大人ならではの深みが、衣装によって引き出されるんだよね。
そんな円熟感を逆手にとって、クラッシー&ラグジュアリーにプロデュースできるのが「美美の環」にしかない強み。
──若いピチピチした子じゃダメなの?(笑)
歳の差に関係なく、輝きを持った人はみんな美しいよ。
でも美しさにもいろいろあって、ワインのように時を隔てるほど味わいが深まるものがある。
ピチピチした新鮮なものを、新鮮なまま提供することは、誰にだってできる。
旨いものは旨いから。
でも年季が入ったものを、くたびれたまま提供するか、風合い豊かに提供するか、それは演出する側の手腕にかかってる。
苦味や辛味、渋味や酸味の中に、これ旨い!っていう旨味を引き出すわけだから。
そこが面白い。
年齢を重ねていくことは、「輝き」だけでなく「陰り」をも身にまとうこと。
そんな「陰り」さえ魅力に映るよう演出していくことに、やりがいを感じるんだよね。
三位一体の遊び心
物体に光を当てると、 輝きと影が生まれる。
それを「創作」の中や「舞台」の上で、あらわに見せる。
その三位一体感こそ、ヒデキマツバラというドラネコの反骨精神=創作意欲に他ならない。
でも反骨精神をむき出しにしたら品格が損なわれちゃうからね。
ドラネコという遊び心をかぶせることが大事。
そしたらホラ、こんなナイスショットが撮れた。
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