4回にわたり綴ってきた4/19イベント「Heven Scent -天香-」
今日は本編の模様を書いて、完結としましょう。
Part1 テーブルセッティング
Part2 タイスの瞑想曲①
Part3 タイスの瞑想曲②
バースデーソング
14時00分
テーブルセッティングが整い、キャンドルに火を灯しました。
いよいよ Heaven Scent スタートです。
まずは、ハッピーバースデーを2度ばかり弾き歌い。
それで思い出しました。
おととし、最後に僕の誕生日を祝ってくれた時のこと。
「そろそろお祝いしましょう」
とお呼びがかかって夕食のテーブルに着くなり、母がハッピーバースデーをピアノで弾き歌いしてくれたことを。
母と二人暮らしになってからも、我が家では互いの誕生日を祝う際、最初はハッピーバースデーを歌い合うのがお約束でした。
大人になって親相手にひとりで歌うのは気恥ずかしいもの。
だから周りに集ってきた猫たちを抱きながら歌うことで、気恥ずかしさをごまかしたり。
そんなことを思い出しつつ、この日は声高らかに歌ってあげました、
タイス
続いては5週間稽古してきた「タイスの瞑想曲」を演奏。
もちろんグランドピアノの蓋は全開放して、譜面台も取り外します。
イントロを弾いているうち、早くもハタハタと涙があふれ出します。
そうなると真珠のネックレスをプツンと切ったかのように、数珠つなぎで涙がこぼれます。
ポロポロ ポロポロ。
鍵盤も指先も、目に映るものは皆、歪んで滲みます。
それでもとめどなくこぼれる涙のまま、最後まで弾ききりました。
育児日記
演奏を終えた僕はテーブルにつき、フルーツタルトをひとつ頬張ります。
BGMに流したのは、母の最初で最後のCD作品「Breeze in Florida」
僕が録音、ミックスダウン、シンセサイザー、そしてジャケットデザインで参加した一枚。
母の優しいピアノの音色がレッスン室を満たすと、僕は一冊のノートを手に取りました。
それは幾日か前、母の引き出しの底から偶然出てきた育児記録ノート。
それを読みながら母を偲ぶことにしたのです。
例えば、僕が1才7ヶ月のある日は、こんな具合です。
この頃ヒデキは1から10までの数を、なんとなく数えるみたいです。
「ひとつ、ふたつ、みっつ」と私が数え始めると、すぐ次の数を口にします。
どういうわけか「五つ」が言えなくて、「四つ」からすぐ「むっち(六つ)」に飛びます。
それから「なーつ、やっち、ここの」ときて、最後に元気よく「とー!」
色あせたノートに残る母の肉筆。
書き手はもうこの世を去っていても、まるでそばで語っているかのよう。
「親の手書きのものが残っているなんていいなぁ」
父を亡くした友人がそうつぶやいてました。
思いがけない贈り物
母の音楽と日記に浸っているうち、午後3時を回りました。
ピンポーン。
ピンポーン。
郵便屋さんに宅配便業者が、入れ替わり立ち替わり訪れます。
なんでしょう?
宛名はどれも松原リディア美江先生。
そう、母に思いがけない贈り物が届いたのです。
コンスタンツェ桂子さんからは、おしゃれなショコラの詰め合わせ。
ヘーゼルナッツやピスタチオなど、5種のコーティングチョコにほっぺが落ちます。
エセニヤさんからは、大輪のバラで彩られたフラワーアレンジメント。
「大好きな美江先生へ」とメッセージが添えられ、真心と愛情が伝わってきます。
SAMさんからは、素敵なキャンドルにフルーツビネガー3種。
さらに同封されていたのが、SAMさんお手製の、この日のプログラム。
無観客イベントにしたこともあって、よもや手にできるとは思ってもみませんでした
世界に1枚しかない幻のお宝です。
夕暮れの花
僕一人ひっそりと会を進めていたところに届いたこれらの贈り物。
皆さんコロナ自粛の中、師である母のために何かしたくて動いてくださったんだな。
その気持ちがとても嬉しくて、すぐにお礼の電話を入れました。
こうして会の後半は、思いがけず彼女たちと一緒に母を偲ぶことに。
3人と代わる代わるおしゃべりに花を咲かせながら、気づけば夜7時前。
最初に灯したテーブルキャンドルもそろそろ消える頃です。
母が生きていれば75回目だった誕生日。
天にいる母との繋がり、そして地上のどこかにいる皆さんとの繋がりを堪能できた、思いがけない1日になりました。
■今月のライブ動画■
母のピアノと共演したポール・モーリア作品です。