緊急事態宣言が解除され、街は少しずつ自粛緩和していってますね。
美美の環スタジオでは今月末まで自粛期間を設けた上で、6月1日よりスタジオ内でのレッスン及びヒーリングセラピーを再開することに致しました。
カクテルパーティーにつきましては、継続的に状況の推移を見ながら、開催時期を判断して参ります。
さて今日は、亡き母に捧げた「タイスの瞑想曲」について書いていきます。
前回からの続きです。
hidekimatsubara.hatenablog.com
- 5つの冒険 - Lent -
- 第1週目 構築 - Construction -
- 第2週目 解釈 - Interpretations -
- 第3週目 瞑想 - Meditation -
- 第4週目 飛翔 - Elevation -
- 最終週 一体感 - Oneness -
5つの冒険 - Lent -
「タイスの瞑想曲」の稽古期間は5週間。
掲げた目標は「神の声をピアノで表現すること」
図らずも稽古を始めたのは、キリストがゴルゴダの丘で磔(はりつけ)になってから復活までの受難節。
その時、世界は新型コロナウィルスのパンデミック只中。
そんな時期に「神の声」をピアノで模索しようとしたのは偶然でしょうか?
それは大いなる5週間でした。
不思議なことに、1週ごと新たなテーマが立ち現れてくるのです。
それは挑戦というより、冒険のようなものでした。
「タイスの瞑想曲」に導かれた5つの冒険。
その記録をここに残します。
第1週目 構築 - Construction -
当然ながら、最初はまだ指も思うように回りません。
かつて僕の恩師が言い放った通り、クラシックのピアノ弾きの誰もがこう感じる瞬間です。
譜読みを始めた頃の演奏なんて、絶対誰にも聞かれたくない!(>_<)
ピアノほど技術力を要する楽器はありません。
いや、楽器のみならず、音楽以外の分野でも、これほど高度な技術力と感受性を同時に要求されるものはない、という声さえ聞かれます。
努力家で、勤勉で、困難を乗り越え続けられる、もしそんな人材をお求めの方がいらしたら、ピアノ弾きをあたってみれば間違いありません^^
さて、稽古を始めたばかりの時期はまだ、ふとした拍子に母を亡くした喪失感とショックに襲われていた頃。
だからピアノに集中していられることは大いなる慰めでした。
まだ演奏はたどたどしくも、傷ついた精神を癒す、心洗われる時間だったのです。
ピアノの傍らには、母の遺影を置きました。
「今からタイスを練習するから、聞いててね」
そう声をかけてから、ピアノに向かう毎日でした。
第2週目 解釈 - Interpretations -
1週目で、楽曲全体の構成を把握しました。
2週目は、シーンを作っていきます。
具体的には、ひとつひとつのフレーズを絵画的に色付けたり、意味付けしていきます。
そうやって楽曲に生命感を宿していくのです。
例えば、展開部の左手アルペジオは、岩場に押し寄せて砕け散る波のように。
始めのうちは海底の深みから海面へ、まだ不穏さを悟られないよう如才なく。
続いて海面から岩場めがけ、ダイナミックに容赦なく覆いかぶさる。
再現部のメロディーは、人知れず森の奥にある秘密の泉。
その澄んだ穏やかな水面に、ポトンと波紋を広げるような音で。
ピアノを弾いていると、こうしたイメージが瞬間的に直感から湧き上がってきます。
それを指先のタッチで音像化していきます。
弾くたびに、解釈はどんどん変化していきました。
1日20回練習したら、20バージョンのタイスが生まれます。
それはまさしく時間の流れに沿って刻々と変化していく自然の姿そのもの。
どの解釈もその瞬間ごとの真実であり、タイスが産み落とす新たな生命の産声なのです。
第3週目 瞑想 - Meditation -
2週間かけ、譜面上に書かれたものは全て頭に入り、暗譜が完了しました。
3週目は、譜面上にないものを追い求めていきます。
文学作品の行間から筆者の意図するものを汲み上げるように。
指先に全神経を集中させ、微細なタッチの変化で紡ぎ出す一音一音の響き。
指の勢い、指先の面積など、指が持つあらゆる可能性を駆使します。
これぞ技術の粋を極めたピアノならではの業。
ただ、技術一辺倒ではピアノを奏でたことになりません。
技術と同時に、内面性が求められます。
技術が肉体であるなら、その肉体に魂を吹き込まねばなりません。
心技一体となって初めて、音楽は生命活動を開始します。
それはまさしく、自分とピアノとの対話。
と同時に、楽曲の中で瞑想している状態です。
この段階まで達しない限り、プロは決して舞台でピアノを披露しません。
ちょうどこの時期のことでした。
レッスン中、クリスチャンの生徒さんから思いがけない指摘をもらったのは。
それは編曲のレッスンで、カッチーニの「アベマリア」をみていた時でした。
生徒さんが伴奏で、僕がメロディーラインを弾いていたのです。
すると生徒さんが目を潤ませて言いました。
「マツバラ先生の音、キラキラしていて心が洗われます。
こんな優しくて美しい音色、今まで聞いたことがありません」
カッチーニのアベマリアは単音続きで、キラキラ響かせるほどには音数がありません。
にもかかわらず、僕がピアノにポンと指を触れた途端、宝石のようにキラリと輝くのです。
これには我ながら驚きました。
どうやらタイスを稽古しているうちに、澄んで輝いた音色が出せるようになったようです。
その音色はまさしく生前の母が奏でた珠玉の響きでした。
稽古3週目、僕の指先に光輝が宿りました。
第4週目 飛翔 - Elevation -
4週目、啓示のようなひらめきが訪れました。
僕はグランドピアノの蓋を全開にしました。
更に大胆にも、譜面台まで取り外しました。
そう、コンサートホールでピアニストが弾くのと同じ状態にしたわけです。
意外に思われるかもしれませんが、特別な場合を除き、室内でピアノの蓋を開けることは稀です。
まして蓋を全開にしたり譜面台を取り外すなど、調律してもらう時くらいしかないイレギュラーなこと。
蓋と譜面台は、ピアノの弦から放たれる響きを抑圧します。
それを完全に取り除くことによって、グランドピアノは本来の潜在的な可能性を目覚めさせます。
その状態で鍵盤に指先を落としたところ、なんという豊かな響き!
コンサートホール客席最後尾まで到達する音場が出現しました。
息を吸い込み、いざタイスを弾き始めます。
するとどうでしょう。
「タイスの瞑想曲」が翼を持ち、飛翔し始めたではありませんか!
その高揚感たるや、まるで鷲や鷹のような猛禽類になった心地。
上昇気流に乗って、高空へ舞い上がっていきます。
ピアノを弾いてるのか、それとも空を飛んでいるのか、わからないくらいに!
壮大な音響空間の中、よりリアルに、きめ細かく、ダイナミックに響いていきます。
音の色彩感や明度までコントラストを増し、ピアニッシモでさえ深く雄弁に語り始めたのです。
さて、この時期に発令されたのがコロナ緊急事態宣言でした。
そこで決断したのが、母を偲ぶ会を延期も中止もせず、無観客で開催すること。
予約してくださった方には残念でしたが、真の意味で会の目的が果たせると感じました。
タイスを稽古してきた目的は、人前で披露するためでも、評価を得るためでもありませんでした。
タイスに5週間を費やす目的はただひとつ、天の母に聞かせるためでした。
最終週 一体感 - Oneness -
3週目、指先に光が宿りました。
4週目、楽曲に翼が宿りました。
最後の5週目に起きたこと。
ついに指先と鍵盤が一体化したのです。
それはまるで自分の指がピアノの一部になったようでした。
こう弾こう、と頭で意識する前に、指や腕が勝手に動くのです。
まるで舞踏会で踊る伴侶のように、指先と鍵盤が付かず離れず一心同体でした。
僕の意思でピアノを弾くというより、ピアノの意思で僕の指が動いている。
そんな感覚でした。
それと同時に、この指先には母の意思も宿っていることを実感しました。
指のタッチを通じて、天国にリンクしているような。
もしかすると、この指を通じて、母が弾いているのか?とさえ感じました。
事実そうだったのでしょう。
前回述べた通り、タイスを神聖化して自分で演奏することをタブー視していた僕が、母の死をきっかけに弾くことになったのですから。
それもこの5週間、天からのインスピレーションと、劇的な顛末とも言うべき賜物を伴って。
もしかすると、タイスを通じて、母は僕にこう伝えたかったのかもしれません。
あなたにタブーなものなどありません。
もし私が生きてそばにいたことで、あなたが何か制限を感じていたのだとすれば、それは妄想にすぎません。
あなたは、あなたらしく自由に生きることを学びなさい。
そして自由に羽ばたくことを学びなさい。
タイスは、その第一歩なのですよ。
最後の週、タイスがもたらしたものは一体感でした。
自分の体と、ピアノとの一体感。
地上の僕と、天国の母との一体感。
望みを押し殺している現実世界の自分と、ありのままの自分との一体感。
肉体(指先)、精神(思考)、そして霊性にまたがった5週間。
その冒険の旅を経て、ついに「タイスの瞑想曲」は仕上がったのでした。
■今月のライブ動画■
母のピアノと共演したポール・モーリア作品です。