ヒデキマツバラの猫道Blog

愛猫家ミュージシャン、ヒデキマツバラのキャットウォークブログ

天空が完璧なまでに味方してくれた日 〜オリジナルソング「Seven Seas 〜七つの大海〜」〜 - Between Seas & Skies -

f:id:hidekimatsubara:20200724083111j:plain

ヒデキマツバラLIVE「AQUABOY」より「Seven Seas」

 

雨の中で鳴いているセミというのも風流なものですね。

 

こちらは制作とレコーディングひと筋の毎日です! 

が故にメール類になかなかお返事を返せておらず、誠に申し訳ございませんm(_ _)m

クララさんみたいに「返信はお気遣いなく」って書いてくださる方もいて救われます。 

そのうち返すので、どうぞ気長にお待ちください。 

 

さて、楽曲を生み出すまでのプロセスは、偶然と必然が絡み合った物語のようです。

今日ご紹介するオリジナルソング「Seven Seas」も実に不思議な導きと、天の采配から生まれました。

 

 

レストアピア

それは2007年の7月に入って間もない頃だった。

週末にパリ祭コンサート「エーゲ海の真珠」出演を控えたある日のこと。

 

その時期、よく母と一緒におばあちゃんの家を訪問した。

倉庫で長年眠っていたピアノをレストアすることになったからだ。

 

昭和30年代初頭のアプライトピアノ。

中学生になって音楽大学への進学を決意した母に、カミナリじいさんが買い与えたもの。

それまで足踏みオルガンで練習していた母は、嬉しくて嬉しくて夢中で練習に励んだ。

 

あれから50年。

長らく使われていなかったピアノは老朽化が進み、鍵盤を押しても出ない音があったり。

 

そこで専門家にお願いして、大規模な修理の結果、再び音を取り戻したピアノ。

弾かないとまた朽ちていくため、足繁く母と一緒におばあちゃん家を訪問していたというわけだ。

 

ゆりかごを抱く老水夫 

その日、母はピアノを弾き終えると、おばあちゃんと台所でお茶の支度を始めた。

ピアノのある応接間には僕一人きり。

他界して2年、カミナリじいさんの書斎は、明るい応接間に模様替えされていた。 

 

梅雨の晴れ間がのぞく昼下がり。

ふと思いがけず楽曲アイディアが浮かんできた。

 

まず心惹かれたのは、時代性を超えた独特なメロディーライン。

日本的なフレーズというより、島国的なフレーズと言うべきか。

と同時に、世界共通の普遍的な人間性を偲ばせる響きも感じられる、懐かしい旋律。

すぐさまアイディアノートを開いて筆を走らせる。

 

島から島へとめぐっては、やがて大海原に漕ぎだしていくイメージ。

それは人から人へ、いろんな出会いと別れを繰り返した先で、一番大きな最終目標に向かって漕いでいくような感じ。

 

それは人生最後の旅路であるのかもしれない。

まるで七つの海を渡ってきた老水夫が、最後の航海に出るような。

あるいは「彼岸への旅路」というべきか。

 

やがて僕は、その老水夫が何かを抱えていることに気づいた。

それは、ゆりかごだった。

 

海を越えて、終末の旅路を目指す老人

そんな彼が、未来の象徴とも言える赤子を宿すゆりかごを抱いている。

それは過去が未来を抱いているような、奇妙な感覚だった。

 

あれから13年経った今、わかった気がする。

それはレストアされて新しい息吹に満ちたあのピアノがもたらしてくれたイメージなのだと。

 

密かな願い 

母が強く惹かれるものは海。特に船だった。

そんな母に連れられ、多島美で知られる瀬戸内海を家族で巡ってきた。

その週末に開催されることになっていたパリ祭コンサートも、クルージング船「銀河」で瀬戸内海を巡りながらだった。

 

そうした航海のイメージが「未来を抱く老水夫」のイメージと相まって、新曲の構想はどんどん膨らんでいく。

タイトルはスケール大きく「Seven Seas 〜七つの大海〜」と名付けた。

 

ところで、そのパリ祭コンサートでは、オリジナル新曲「サーフボード」の初演を控えていた。

それは、陸から海を目指す少年の歌。

現実の悲しみや苦しみを波のように乗り越えて、未来を手にする少年の歌だ。

 

一方の「Seven Seas」は、陸から海を目指す老水夫の歌。

そこでひらめいた。

これらを連作として発表したらどうか!

 

が、現実はなかなかそう甘くない。

その時点で新曲制作に向かうには、あまりに時間がなさすぎた。

 

コンサート本番に向けて追い込みの時期。

稽古はもちろん、まだ他にも編曲と最終ミックス仕上げが残っている。

実を言うと、その時おばあちゃん家でのんびりお茶してる場合でもなくて。

 

その日、帰宅する車の中、僕は胸の内の密かな願いを母に打ち明けた。

「公演日があと1週間先だったらな。新しく思いついた曲を完成させられるのに」

 

天空を司る者

「ヒデキさんがあんなこと願ったからよ!」

予約客の名簿をめくりながら電話に追われる母は大わらわ。

 

「公演日があと1週間先だったら」

そんな僕の願いを、天は完璧なまでに聞き入れた。

 

なんと、公演日に台風が上陸したのだ!

7月の14日に台風が上陸するなんて、想定外どころか前代未聞。

 

当然、クルージング船は欠航。

パリ祭コンサートは延期。

 

延期通知とお詫びの電話で、公演プロデューサーの母は気が休む間もない。

幸運なことに、延期によるチケットキャンセルは1件もなかったが。

 

結局、クルージング船側と再度交渉した結果、公演はひと月も順延されることになった。

僕が意気揚々と「Seven Seas」制作に着手したのは言うまでもない(笑)

 

楽曲制作に欠かせない要素が2つある。

1. 集中してじっくり練ること。

2. 勢いで作ってしまうこと。

 

その相反する要素で、歌詞とメロディーはこれ以上はないというレベルまで到達。

編曲にも潤沢な時間を費やせた分、クライマックスに向けてスケールアップしていくサウンドを編み出せた。

 

運命のサジ加減

もし台風の上陸が前後に1日ずれていたら?

予定通り公演が開催され「Seven Seas」完成発表は翌年の夏に持ち越されたか、あるいは未完のままであったかもしれない。

 

さらに、もしもあのピアノをレストアしなければ?

あの日おばあちゃん家に行く理由もないのだから「Seven Seas」を作るきっかけ自体が存在し得なかっただろう。

楽曲というのは、運命の気まぐれとでもいうべき微妙なさじ加減で生まれてくるものだと、つくづく感じる。

 

人生という名の冒険を歌い、その憂いと輝きを込めた「Seven Seas」

これまで舞台で3度も披露する機会に恵まれたせいか、長年のファンは振付入りで歌ってみせてくれる^^

 

ちなみにおばあちゃんも他界した今、レストアしたピアノは、共にこの美美の環スタジオにある。

 

最後の航海


SEVEN SEAS ヒデキマツバラ 〜七つの大海〜 by Hideki Matsubara

 

さざ波うねる

ゆりかご抱いて

 

独りで漕ぎ出す 七つの海

水面に 輝きたたえて 

 

潮はゆく ゆらゆら

潮の道 ゆらゆら

澄んだ瞳 疼く傷跡

涙ひとつ 青く しみ入る

 

島影ぬけて

大陸目指す

 

満ちては引いてく 心の海

汗ばむ てのひら拭い

 

風はゆく ひらひら

風の詩 ひらひら

迷い めまい 戸惑いの凪

夢は儚く 愛は幻

 

どこまで揺れては 遠く深く

未知なる旅路は 果てなく

 

舟はゆく ほろほろ

あてどなく ほろほろ

幾多 波間に のまれながらも

オール握る 手は離さない

 

潮騒響く

遥かな岸辺

 

作詞・作曲・編曲/ヒデキマツバラ