いよいよ2018年おおみそか。
年越しまであとわずかですね。
この年末は、思いがけず美味しい贈り物が続々と我が家の食卓を飾りました。
おととい届いたのが、京都産のウナギとジャコの山椒煮。
これがノリ茶漬けにしてみたら、もう絶品なのです!
あぁ、日本に生まれて良かった。
お茶漬け食べたの20年ぶりだったり。
そして昨日、タルトが3つ、ドン!ドン!ドン!と届きました。
ラズベリーにショコラ、そしてマロン。
タルト大好きヒデくんとしては、もうたまりません!
少なくとも1週間以上は堪能できることでしょう。
さてクリスマス公演のことをずっと綴ってきましたが、今日は公演での個人的なハイライトをまじえつつ書いていきましょう。
公演ではいろんなデザインを担当しました。
フライヤー、チケット、ポップ、そしてプログラム。
すべてに共通するモチーフが、そう、ベルですね。
これにはちょっとした意味合いがあるのです。
その前に僕の母親、松原リディア美江のことをご紹介しましょう。
母親像
僕の母はウルトラスーパーマザーです。
音楽スタジオ「ミュージックハウス美美の環(みみのわ)」を設立させて以来、50年余。
これまでに数千人ものレッスン生を育てながら、音楽家/ピアニスト/エッセイ作家/舞台プロデューサーとして活動を続けてきました。
母のすごいところは、プロとして妻として母親として一切手を抜かず、仕事/家事/育児すべてを両立させたことです。
食事は三食とも手作りで、夕食のおかずは毎晩7品。僕が外食を好かない理由は、料理上手な母の味付けに勝る料理人がいないから。
母は毎日相当数のレッスンをこなしながら、僕たちの育児記録を出版するわ、連日放送されるFMラジオのエッセイ番組原稿を執筆するわ。
母がボ〜ッと休んでいるところなんて見たことがありません。
待ち時間とか食後とかちょっとした合間にも、モンブランの万年筆で書き物をしている。それが幼少期から変わらぬ母親像なのです。
際立ってすごいのが、アイディアと企画力と実行力。
これまでに企画制作してきた舞台やツアーに催し物、その数300以上。
「Nice Meeting(素敵な出会い)」をコンセプトに国内外の公演をはじめ、豪華客船だったりリゾートアイランドの洞窟だったり、人が思いもよらぬところを舞台にしては、多彩な選曲/舞台演出/衣装で独創的なエンターテイメントを創造してしまう。
ニューヨークのブロードウェイを足繁く訪れて研鑽に励んでは、17作ものミュージカル作品を執筆/プロデュースしてしまうバイタリティー。
文化の発展に貢献することを使命とし、人のために尽くし、時間もお金も助力も惜しみません。
母は困っている人がいると全力で助けます。
活動費や衣装代が捻出できない学生キャストたちの肩代わりをするのは日常茶飯事。
かなりお人よしな僕でさえ呆れ果てて腹が立ってくるほど、母は人助けに一生懸命なんです。
だから数々の恩知らずさんたちに代わり、この場で臆面もなく母のことを賛美しちゃうわけなのです!(笑)
先日のクリスマス公演では、ミスター・サンタとマダム・サンタなる新たな夫婦キャラクターを生み出し、他者の追随を許さぬユニークな発想は健在です。
母子共演
母とは数えきれないくらい共演してきました。
僕のシンセサイザーと、母のピアノ。
ところが、今公演で母は特別なプログラムを組みました。
二人で初めてピアノ連弾をすることになったのです。
曲は「クリスマスの鐘が鳴る」という愛らしい素朴なドイツ民謡。
これは僕にとって思い出の曲で、5才で初舞台を踏んだ時、ピアノで披露した作品なのです。
母がエレクトーンでサポート共演してくれたのを覚えています。
当時、その演奏はレコード化され、東芝EMIからリリースされました。
「クリスマスの鐘が鳴る」こそ、本当の意味で僕のデビュー曲となるわけですね。
そのようなわけで、数十年ぶりの再演を記念して、このたび印刷物デザイン全般を鈴モチーフで統一したのです。
母の弾くピアノは、独特の美しさがあります。
天から聞こえてくるように澄んでいて、キラキラ、コロコロした音色なのです。
これが日々の入念な稽古による緻密な技術の蓄積であることを、息子の僕はよく知っています。
クラシック畑にいた僕でさえ、ほかにこういう音色を出せるピアニストを知りません。
さて毎日顔を合わせている僕ら母子ですが、一緒に連弾の稽古ができたのは数えるほど。
でも、いつ合わせても二人の息はピッタリ調和しました。
稽古を終えると、いつも母はうれしそうに言ったものです。
「ありがとう。これならいつステージを迎えても大丈夫ね」
病床
それは本番を4日後に控えた日でした。
連日、火のようになって稽古に励んでいた母のピアノが聞こえてきません。
「今度のステージ、出れそうにない」
母は病床で涙をこぼしました。
人並み外れてプロ意識の高い母のこと。
公演に穴を開ける決断をするのは、どんなに無念だったことでしょう。
「あとはあなたがやりきってね」
かすれた声でそうつぶやく母。
「大丈夫、ゆっくり寝て休んでいれば舞台本番には出れるよ」
そんな気休めで母を寝かせた僕は、即座に穴埋めへと動き始めました。
幸い、企画制作から舞台進行まですべて自分でも把握できており、当日の舞台運営に関しては支障ありません。
問題は演奏曲。
母は全プログラム中、4分の1ほどの作品に関わっていたからです。
母との連弾曲、これは僕ひとりでもやりきれます。
ピアノの歌伴奏、これもすぐに稽古すれば僕が代役で弾けるでしょう。
母との連弾が予定されていた共演者には、無用な心配と動揺を避けるために病気のことは伏せ、「ソロでも弾けるように準備しておいてください」とだけ連絡しました。
残すはポール・モーリア作品「天使のセレナーデ」のピアノソロ。
これはさすがに残りの日数では僕の手に負えないので、オリジナル曲にでも差し替えるとしよう。
僕には、すべてがあまりに突然のことでした。
でも、母にとってはそうではありませんでした。
病床で母は告白したのです。
2ヶ月以上も前から内緒で病院通いをしていたことを。
クリスマス公演までには直す!
通院中の母の頭の中にあったのは、その一念だったのでしょう。
しかし母も気丈なものです。
病床にありながら、母は本番前の週のピアノレッスンをすべてやりきりました。
万が一に備えて、僕が別室で待機していたのは言うまでもありませんが。
なにしろ信号が青になって渡り始めた交差点を、赤になっても渡りきることができないほど、母の体は衰弱していたのです。
僕にできることは平常心で目の前の事にあたり、あとは祈るだけでした。
聖なる瞬間
コンサート2日前のこと、レッスン室に「天使のセレナーデ」が流れました。
母の音色だ。
見ると、母はピアノに向かっていました。
あぁ、大丈夫だ。
出れる。出れるよ。
僕は確信しました。
本番当日、コンサート会場に向かうタクシーの中で、母の手は震えていました。
でもプロ意識の強い母のこと。
会場入りしたとたん、ぴしゃんと胸を張っていつも通りの立ち振る舞い。
レッスン生たちのリハーサルを入念に確認しています。
音響を担当しながら全体の進行をチェックしていた僕は、母に付き添う時間はありませんでした。
正直、事前にスタッフに事情を話しておくべきが迷いましたが、公演に向けて士気を高めていく皆の気持ちをトーンダウンさせるのは本意でなく、混乱を避けるためにも、一切内密にして僕の胸の内にしまいました。
ステージ本番。
母は全曲やり遂げました。
この日の「天使のセレナーデ」こそ、母のベスト中のベストでした。
そして「クリスマスの鐘が鳴る」
並んで舞台に立った時、僕は気づきました。
いつの間に母の背中はこんなに小さくなったんだろう。
もしかしたら、これが母と最初で最後の連弾になるかも。
5才の時とは逆に、僕が伴奏に回ったこの日の演奏は、まさしく今の状況を暗示していました。
今度は僕が母を支えてあげる番なんだ、と。
6拍子の愛らしい「クリスマスの鐘が鳴る」
僕は小舟を揺らすようにイントロを弾き始めました。
ゆらり ゆらゆら
寄せては返す波のように。
そこに母の主旋律が加わります。
リンリン リンリン
軽やかに響きます。
クリスマスの喜びを告げるソリの鈴の音のように。
まことに清らかで聖なる瞬間でした。
希望の鳥
あの日ステージを降りて以来、母はずっと静養しています。
1日の大半を寝て過ごしています。
僕は年内の仕事を全てキャンセル、家のことや身の回りの世話をしています。
クリスマスもお正月もない我が家は初めてです。
年賀状さえまだ準備できていません。
だけど、ただ母がそこにいてくれるだけでいい。
母と一緒の時間を最優先にしたい。
なんだか書いてるうちにしんみりしちゃいましたね。
こんな状況だからって、しんみりする必要はない気がします。
今こそまさに前回書いた「僕だけの北極星」を見つけられるか、試されていると思うんです。
どんな状況に置かれても、そこでキラリとした自分でいられるかどうか。
だから僕はいつも通り明るく過ごしています。
明るく買い出しに出て、明るく家事をこなしています。
母が起きてくるたび、他愛ないジョークで母を笑わせてます。
20歳を目前にした夏、父が逝き、自分自身何度か死にかけた経験があるせいか、僕は死生観が他の人とは異なっているようです。
生命は自然の摂理の一部にすぎません。
死もまた摂理の一部。それは別離ではありませんし、終わりでもありません。
死によって奪われるものは何もないのです。
奪われた気がするのは、エゴがそう思わせているだけ。
だから何もかも天に委ねた今、すべての「今」という瞬間を心豊かに幸福と平安のうちに過ごすことにしたいのです。
母のそばで。
もし母が病に伏せていなければ、きっと僕は仕事とかやることリストに追われて、こんなかけがえない母子の時間は持てなかったでしょう。
それで僕はありがたく今自分に与えられた恵みと天からの加護に感謝しているんです。
希望とは、しがみつくものではありません。
鳥のように自由に空を羽ばたかせてやるものだから。
では、今年も1年間ご愛読いただいてどうもありがとうございました。
来たる2019年が読者の皆さまに最良のものをもたらしますよう心から願っています。
Hibernation 〜愛の眠り〜 ヒデキマツバラ by Hideki Matsubara
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