ジュリー・クルーズ追悼特集3回目は、鬼才デヴィッド・リンチ監督を取り上げます。
代表作「エレファント・マン」で名高い映画監督です。
20曲ものギフト
両者は、映画のサントラをきっかけにコラボレートを重ねるようになったみたいです。
調べてみたら、いろんなエピソードを見つけました。
まず驚いたのが、リンチ監督は彼女のために、たくさんの歌詞を書き下ろしていたこと。
それもなんとアルバム2枚分、合わせて20曲も!
高名な映画監督が、無名シンガーのためにそこまでするなんて。
自分が認めた才能には、有名無名を問わず、惜しみないサポートをする。
いかにもアメリカならではのエピソードですね。
名監督から20曲ものギフトを授けられたジュリーは、なんて幸せなシンガーなのでしょう。
そして、20曲分のインスピレーションをもたらすシンガーと巡り会えたリンチ監督は、なんて幸せなクリエイターなのでしょう。
いかにリンチ監督がジュリーの感性を信頼していて、彼女もそれに応えていたか。
それを伺い知ることができて、なんだか胸が熱くなりました。
いばりんぼう兄貴
愉快なエピソードも見つけました。
生前ジュリーは、インタビューでこう応えています。
(リンチ監督との関係を訊かれて)
私は妹みたいな存在ね。ほら、お兄ちゃんって妹に指図するでしょ。あんな感じ。
思うようにいかないと、彼は不機嫌になったり、感情を爆発させたりするの。
そんなところが大人げなくて、なんか笑えてきちゃって。
でも彼のことが大好きよ。
まぁ、映画監督なんて職業は、ものすごいエゴイストじゃないと務まらないでしょうから(笑)
自分の要求した通りに事が進まないと、大騒ぎなのでしょう^^;
そういう事態にも、ジュリーは持ち前のウィットで切り抜けていたようですね。
それにしたって笑えます。
年齢がひと回りも違うリンチ監督のことを、鬼才どころか、いばりんぼうなお兄ちゃん扱いしてたとは(笑)
それくらい、気の許せる家族みたいな距離感でコラボしていたんでしょうね。
沈黙で綴ったラストメッセージ
そんなリンチ監督が、ジュリー・クルーズの訃報に際して、追悼コメントを公開しています。
才能豊かで、妹のようだったジュリー・クルーズの安楽死。
監督にとって、どれほど心を痛めたでしょう。
拙訳ですが、忠実に文字を起こしてみました。
今、知ったばかりなんだ。。。。。。。。
。。。偉大なるジュリー・クルーズの訃報を。。。。。。。。
とても悲しい知らせだ。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。だから、、、、、、、、、、、
まさに今こそ、絶好の機会かもしれない。。。。。
彼女の作った、、、素晴らしい音楽に感謝して、、、、、
、、、彼女が、、、偉大な音楽家であり、偉大な歌手であり、、、、、
、、、素晴らしい人であったことを偲ぼう。。。。。。。。。。
。。。。。。ジュリー・クルーズ。。。。。。。。。。。。。。
リンチ監督は、饒舌でユニークなお方らしいのです。
が、この1分足らずの追悼コメントでは様子が違います。
訃報を知った矢先で、まだ放心状態。
何度も何度も言葉を詰まらせては、沈黙します。
私的な形でのスピーチとはいえ、沈黙を嫌うアメリカ人にはとても珍しいこと。
それでも取り繕うことなく、言葉が出てこないありのままの姿をさらけ出すリンチ監督。
そこが僕の胸に刺さりました。
無言の空白。
聞こえてくる息遣い。
それこそが、リンチ監督の胸中を雄弁に語っている「声」
なんて痛ましいんだろう。
でも、なんて雄々しく、勇敢な人だろう。
最後でポツリと相手の名を呼ぶのは、日本の風習にない、欧米らしい弔意の示し方ですね。
ジュリー・クルーズを慈(いつく)しむ気持ちが慮(おもんばか)られ、グッときました。
クリエイティブな音楽家族であったジュリーとリンチ監督。
両者の深い絆に想いを馳せつつ、ペンを置きます。
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