ヒデキマツバラの猫道Blog

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【和訳】シニード・オコナー追悼特集 Nothing Compares 2 U 〜愛の哀しみ〜 - Nothing Compares to Mother -

シニード・オコナー(1966 - 2023)

 

歌い手は亡くなっても、作品は人々の心の中に生き続ける。

それが音楽の素晴らしいところですね。

 

前回記事に続き、56歳の若さで急死した世界的シンガー、シニード・オコナーを偲びます。

今日取り上げるのは、90年代を代表する世界的名曲『ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー』

 

実を言えば、僕、歌詞に目を通したのはこれが初めてで。

思いがけない発見があり、自分なりの解釈で訳してみたいと思いました。

 

この歌を大好きな方々の間では、賛否が分かれるかもしれません。

それでも、シニードの本意に沿った日本語訳が、この世に1つくらいあってもいいのでは。

そう思って、ここに公表することにしました。

 

●前回記事●


 

歌詞/対訳

 

NOTHING COMPARES 2 U
 〜愛の哀しみ〜
by SINEAD O'CONNOR

 

It's been seven hours and fifteen days

Since you took your love away

I go out every night and sleep all day

Since you took your love away

Since you've been gone I can do whatever I want

I can see whomever I choose

I can eat my dinner in a fancy restaurant

But nothing, I said, nothing can take away these blues

 

'Cause nothing compares

Nothing compares to you

 

It's been so lonely without you here

Like a bird without a song

Nothing can stop these lonely tears from falling

Tell me, baby, where did I go wrong?

I could put my arms around every boy I see

But they'd only remind me of you

I went to the doctor and guess what he told me, guess what he told me

He said, "Girl, you better try to have fun no matter what you do," but he's a fool

 

'Cause nothing compares

Nothing compares to you


All the flowers that you planted, mama, in the backyard

All died when you went away

I know that living with you, baby, was sometimes hard

But I'm willing to give it another try

 

Nothing compares

Nothing compares to you

Nothing compares

Nothing compares to you

Nothing compares

Nothing compares to you

 

あなたが愛を葬り去ってから 15日と7時間が過ぎた

あなたが愛を葬り去ってから 私の暮らしは昼夜反転

毎晩 外出して 寝るのは昼間

あなたが去ってから 何でもやりたい放題の私

誰とでも会えるし 洒落たレストランで外食もできる

なのに 何もないの

塞いだこの気持ちを紛らせてくれるものが

 

だって ほかにいないもの

あなたほど大事な人は

 

あなたがいなくなって ずっと淋しかった

さえずることができない鳥のよう

あふれる涙を止められない

ねぇ 教えて 私のどこがいけなかったの?

その気になれば 私 どんな男性とも恋仲になれたけれど

誰を抱いても あなたのことを思い出したかも

私 精神科医にかかったわ

そしたら何て言われたと思う?

「君ねぇ 何事も手当たり次第 楽しんでしまうに限るよ」

バカな医者ね

 

だって ほかにいないもの

あなたほど大事な人は

 

ママ あなたが裏庭に植えた花は

あなたが出ていった途端 どれも枯れてしまった

あなたとの暮らしは 時に酷いものだったけれど

もう一度やり直してみたいの

 

ほかにいないもの

ママほど大事な人は

ほかにいないもの

ママほどかけがえない人は

ほかにいないもの

ママほど愛した人は

 

対訳/ヒデキマツバラ

 

リリース情報

この歌は元々、プリンスが自身のファンクバンド、ザ・ファミリーのために書き下ろした作品。

オーケストラによるこちらの原曲バージョンでは、男性ボーカリストがメインで歌っています。

 


彼らのデビューアルバム『The Family』(1985年作品)に収録されたものの、シングルカットすらされずに忘れられていきました。

 

そんな歌が一躍脚光を浴びることになったのが、シニード・オコナーによるカバー。

彼女のセカンドアルバム『I Do Not Want What I Haven't Got 〜蒼い囁き〜』(1990年作品)から先行シングルカットされ、アメリカで4週連続1位を獲得。

世界各国で1位を独占するモンスターヒットを記録したのです。

 

ひっくり返るほどの大発見

ここから先は、本作の翻訳作業中に僕が見つけた数々の発見について、書いていきましょう。

 

歌詞に目を通し始めて早々、察しがつきました。

愛する男性と別れた、失意のラブソングなんだと。

 

読み進めていくほど、なぜこの歌が世界的な共感を得たのかがわかりました。

失恋したら誰だって、こんな風に自暴自棄になったり、哀しみに浸ったりするものです。

 

ところが、全てがひっくり返ってしまったのは、歌が終盤に差し掛かる頃。

3コーラス目の冒頭で、相手のことを「ママ」と呼びかけてるのです。

 

えぇ!? これ、もしかして別れた彼氏でなく、別れた母親への歌!?

そうなると、楽曲の解釈が根底から覆されてしまいます。

言うなれば、育児放棄の末に蒸発してしまった母親への歌!?

 

母と娘

でも、案外それが真実に近いのかもしれません。

というのも、シニードは厳格なカトリックの家庭で、母親から虐待されて育っています。

そしてシニードが19歳の頃、この母親は交通事故死しています。

これほど確執がありながら、シニードにとっては愛する母親だったらしく、デビュー初期作品では母親について歌った作品で占められています。

セカンドアルバムのタイトル『I Do Not Want What I Haven't Got(=手に入らなかったものなんていらない)』に至っては、母親の口癖からとったものだとか!

 

まとめてみると

①娘を虐待しながら育て

②交通事故で娘の前から突然いなくなった母親のことを

③シニードはかけがえなく愛している

なんと、歌詞の内容と見事に符合してしまうのです!

 

歌詞の真相

90年代の洋楽ファンなら、誰でも知っている歌ですから。

人によっては、共感で涙し、歌詞への思い入れも深いことでしょう。

 

そんな失恋ソングの名曲を、母親への愛憎歌として公表することにためらいを覚えました。

クリアすべきは、この楽曲解釈が独りよがりでないと立証すること。

 

こうなると、歌詞を深読みしているだけでは限界です。

具体的な手がかりを求め、リサーチを進めます。

 

すると驚いたことに、こんな解説を目にしました。

「男性が親しい女性に対して『ママ』と呼びかけることもある」のだと!

 

これ、本当でしょうか???

僕かなり長いこと英語に親しんできましたが、リアルでも映画や詩歌等でも耳にしたことがありません^^;

「ハニー」「ダーリン」ならいざ知らず、英語圏の男性が同年代の彼女に向かって「ママ」と呼びかけるでしょうか???

 

仮にその説を鵜呑みにしたとしましょう。

原曲バージョンのように、男性が別れた彼女に「ママ」と呼びかけるなら、理屈が通ります。

でも女性であるシニードが、彼氏だった男性に向かって「ママ」と呼びかけるのは、明らかに無理があります。

 

ちなみにシニードのカバーでは原詞の改変が見られ、「girl」が「boy」に置き換えられたりしています。

でも「ママ」の方は変更が加えられていません。

変更すべき箇所がそうなってないのなら、そこにシニードの意図があると解釈するのが妥当でしょう。

つまりシニードは、最初から母親のことだけを思いながら歌っていたはずです。

 

確信を深めながらリサーチを続け、ついに見つけました!

シニードがインタビューの中で語っているのです。

「私の中で(この曲は)母親のことだ」「まさに私の体験したことが描かれている歌だ」と。

 

誰のための歌なのか?

参考のために、この歌の対訳を掲載している洋楽翻訳サイトを見て回りました。

そのどれもが、恋人を失った視点で訳してありました。

中には、あえて「ママ」の部分を訳さずスルーしてるサイトさえ多く見受けられました。

 

もちろん一般リスナーにとって、失恋ソングの方が共感しやすいでしょう。

でもシニードは、この歌に母親を感じたからこそ、共感してカバーする気になったはず。

 

そこで、結論に至りました。

自分の直感と、シニード自身の言葉を信じよう。

 

他の翻訳サイトでは「失恋した人の内面を代弁する歌」として訳してます。

でも僕は「シニードの内面を代弁する歌」に訳そう!

そう心に決めて「母親からの愛情を失った娘の歌」に取り組みました。

 

名曲の条件

昨夜も眠れぬ夜を過ごした僕でした。

が、その甲斐あって、上記通り対訳を仕上げることができました。

 

歌い手の心情と誠実に向かい合えば、こんな訳し方もアリなんだ。

そんな風に思ってもらえるだけで光栄です。

 

もう一つ。

偉大な歌というものは、解釈の仕方を変えても、意味が通じるもの。

いく通りもの解釈ができる歌こそ、名作の証なのですね。

 

これほどの作品を生み出したプリンスの偉大さに敬服します。

と同時に、名もなき歌を名作として蘇らせたシニードの表現力にも感服します。

 

大好きなサウンドプロデューサー

話は変わって、この楽曲をプロデュースしたの、ネリー・フーパーだったんですね!

道理でマッシブ・アタックのようなアーティストたちとシニードに繋がりがあるわけです。

 

ネリー・フーパーは、僕の敬愛する音楽プロデューサーでして。

中にはどのアーティストをプロデュースしても同じサウンドにしてしまう人がいますが、彼の場合は逆なんです。

まるでカメレオンのように、楽曲ごとに変幻自在な音作りをする才人!

機会があれば、今後も彼の手がけたクリエイティブな楽曲をバシバシ紹介していきたいです^^

 

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