暗い思いに浸っている時、突然彼の耳に聞き慣れた言葉が飛び込んできた。
委員の中でも小柄であまり目立たず、名前があまりにも長く難しくて、彼自身、覚えるどころか発音することもできなかった人物が、不意に一つの言葉を議論の中に投じたのだ。
「トロイの木馬だ!」
ひととき”緊張をはらんだ”と形容される沈黙があり、次にはどっと「なぜ思いつかなかったんだ!」「もちろん!」「それは名案!」の合唱。そして会議に入って以来、初めて議長が静粛を求めた。
「ありがとう、シルグナナサムパンサムウルシー教授」
オコナー博士は一息に言った。
(アーサー・C・クラーク著「3001年終局への旅」第35章より)
シルグナナサムパンサムウルシー教授の実像
シルグナナサムパンサムウルシー教授。
彼は名作SF小説「2001年宇宙の旅」に始まる「オデッセイ」シリーズ4作目にして完結編「3001年終局への旅」の登場人物である。
それもわずか一言「トロイの木馬だ!」と発するためだけに登場する、端役中の端役。
それが神のごとき力を持った異星文明から地球を防衛する究極の打開策となり、物語後半のみならず、シリーズ全作1000年分に及ぶ「オデッセイ」シリーズを大団円に導くのだから、なんと目を見張るべき配役であろう!
そもそも端役にして最重要人物の名に「シルグナナサムパンサムウルシー」なんて世にも奇妙にふざけた長い名をあてるという発想からして傑作だ。
著者が明かしたところによると、その名は居住先であるスリランカの首都コロンボの電話帳で見つけた実在の人物名だという。事実は小説より奇なり。
そしてクラークらしい実におどけた調子で「当人がこの無断借用に気づいてクレームをつけてこないことを願う」と結んでいる。
シルグナナサムパンサムウルシー教授の生みの親
人類史上最高のSF作家のひとりに数えられる英国人文豪。
深宇宙を舞台にした壮大なフィクションを描きつつも、NASA等による宇宙探査の最先端記録を我先に創作へと生かしたリアリズムの鬼才。
シングナナサムパンサムウルシーの一例が示すように、端役の名ひとつとってもリアリティーに徹し、クラーク独特の持ち味でフィクションに組み込む。
だからこそ彼が描くドラマは、戦慄にしろ感動にしろ、我が身に迫るほどリアルなのである。
そんなクラーク作品の魅力は3つ。
①鋭い予見性
②巧みな視覚的描写
③ユーモア精神
鋭い予見性
作家として名をはせる前の1945年、クラークは論文を発表し、衛星を活用したマスコミュニケーションを提唱した。いわゆる通信衛星だ。
そう、彼のアイディアマンとしての資質は小説のみならず、人類文明に絶大なる変化を及ぼした。
その恩恵を最も受けているのが、比類なきIT社会に暮らす我々現代人だ。
今後も僕らの存命中に、クラーク作品の中からアイディアが次々と実用化されていくことだろう。
巧みな視覚的描写
非現実なアイディアを生み出す想像力と、それを読者に伝える筆致力は、似て非なるもの。
SF小説ほど読み手に想像力を強いるジャンルはないが、クラーク作品は違う。
まるで映画を見ているかのように、どの場面もありありと描き出される筆致力は敬服に値する。
頭の偉い方は難しいことを述べるのが得意だが、本当に頭の偉い方は難しいことをわかりやすく伝えるのが得意だ。クラークこそ後者の好例である。
ユーモア精神
クラーク作品の大きな魅力は、ウィットに富んだユーモアだ。
その文章運びは実に軽妙で痛快。
どんな切羽詰まった状況を描くにしても、その裏側にある笑いや皮肉をダシ汁のごとく引き出してくる。
また登場人物の描き方がリアリティー豊かで生々しく、そこが実に魅力的だ。
人間くさい人物が、人間くさい相手と人間くさいやりとりをする。
SF世界だからこそ、なおのこと人間味やジョークがキラリと映えるのだ。
僕のようにウィットとユーモアぬきには生きていけない種族にとって、クラーク作品は超一級品だ。
ブログ冒頭で引用した抜粋だけで、何ヶ月もクスッと笑っていられる。
そうしたことがどれほど人生の波乗りを面白く味わい深いものにしてくれるだろう。
ユーモア抜きの人生は、カレーのかかってないカレーライスに等しい。
そして悲劇を悲劇としか受け止めることができない人々は、人生の半分しか生きていない。
この世はそんな単純なものではない。
悲劇も喜劇も、涙も笑いも複雑にからみあって存在している。
喜びの影には別離がつきものだし、悲しみの影には大変化(往々にして明るい未来)が伴うものだ。
それに気づかせてくれるのがユーモア精神(遊び心)である。
西暦3001年への招待
この春先、ふと本棚の「3001年〜」に手が伸びて読み返してみたら、ワクワクが止まらなかった。
なにしろ舞台は31世紀。
それは22世紀からやってきたドラえもんや、24世紀の宇宙探索を描いた新スタートレックといった、我々日本人のお茶の間にも馴染み深い未来からさらに遠い未来。
もう何が起きてもおかしくない。
太陽系の果てから彗星を曳航してくる宇宙船が、海王星気道で1000年前に行方知れずになった主人公を見つける。
地表から12km上空の地球軌道上まで宇宙エレベーター(というより4000階建てのビル)が伸びている。
その他、西暦3001年の人類の生活文化、恋愛/結婚事情等々。(ご興味を持たれた方はぜひご一読を!)
この7月、僕は新曲を作って披露した。
コンセプトは、1000年の眠りから目覚めた主人公が見たバラ色の31世紀像。
題して「Metropolis Honeymoon」(メトロポリス・ハネムーン!)
久しぶりにシンセサウンドオンリーのエレクトロなダンスミュージック。
そういえばプロデビューしたばかりの頃は、シンセサイザーで宇宙をテーマにした作品作りに夢中だった。
こんないい大人になっても、夢に胸膨らましていたあの頃と同じテーマで曲作りできる自分を発見できてなんだかうれしい。
それを今の自分らしい成熟した形で表現できたことはもっとうれしかった。
思えば、アーサー・C・クラークこそ、究極に遊び心を持った作家だった。
遊び心は永遠に年をとらない。
おん年80歳にもなろうかという時に、電話帳で偶然シルグナナサムパンサムウルシー氏なる人物の存在を知り、自身最大の人気シリーズの完結を飾る作品の中で、キーパーソンとしてほんの一言発するためだけに登場させる。
どこまで愉快な爺さんだろう、クラークというお人は!
アーサー・C・クラーク没後10年。
この10年で我々人類は魔法のごときレベルに達したIT技術の中で、前世紀までには予想だにしなかった絆と人生を謳歌する幸運に恵まれた。
ただひとつ足りないものがあるとすれば、クラーク爺さんの新しいジョークが聞けないこと。
ユーモアを糧に生きている人種にとって、それは死活問題なのである。
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